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徳川光圀の肖像写真
肖像画:狩野常信『徳川光圀像』(パブリックドメイン)(ファイルのページ)

徳川光圀の名言

徳川光圀|1628〜1701年|日本(江戸時代前期)|水戸藩第2代藩主

徳川家康の孫で、水戸藩の2代藩主。若いころは乱暴者だったが、18歳で中国の歴史書『史記』の伯夷伝を読んで心を改め、学問に打ちこんだ。全国から学者を集めて歴史書『大日本史』の編纂を始め、のちの水戸学のもとを築いた。隠居後は西山荘で暮らした。「水戸黄門」の諸国漫遊は後世の講談や時代劇による創作で、実際には関東周辺しか旅していない。

のせている言葉:2こ(伝承・出典未確認 2)更新:2026-10-20

この人の名言の一覧(2こ)
  1. 苦は楽の種。
  2. この者を殺しても、鶴は生き返らぬ。

それぞれの名言に、出典(どの本・手紙・演説か)と、確かさのしるし(出典あり伝承・出典未確認実は言っていない)をつけています。外国語の言葉は運営者が原文から訳しました。

1伝承・出典未確認#努力#前向き#励まし
苦くは楽らくの種しゅ。

出典:『徳川光圀卿九ケ条禁書』第一条として伝わる(1698年)

出典についてWikipediaによれば、光圀が子孫のために残したとされる『九ケ条禁書』の第一条にある言葉で、江戸後期の随筆『松屋筆記』も光圀の言葉として記している。ただし「残したとされる」という扱いで、文書そのものの確かさは確認できなかった。一般に「苦は楽の種、楽は苦の種と知るべし」の形で知られる。

意味と背景

意味:今の苦労は、後の楽しみの種になる。苦しいことを避けずに耐えれば、やがて実りとなって返ってくる。逆に楽ばかりしていると後で苦しむ、という意味の後半とあわせて、苦労を前向きにとらえる言葉。

座右の銘にするなら・面接での答え方

部活のきつい走りこみの時、この言葉を心の中で唱えていました。最後の大会で後半にばてずに走り切れたのは、あの苦しい練習のおかげです。苦労は未来への投資だと思って、今も勉強に取り組んでいます。

2伝承・出典未確認#リーダー#失敗#心
この者ものを殺ころしても、鶴つるは生いき返かえらぬ。

出典:『桃源遺事』(光圀の死後に家臣の話をまとめた逸話集)

出典について光圀の飼っていた鶴を殺してしまった者を許した時の言葉として、死後にまとめられた『桃源遺事』に載る(Wikipediaによる)。主君をたたえる目的でまとめられた逸話集のため、言葉どおりかは確かめられない。

意味と背景

意味:この者を死罪にしたところで、死んだ鶴が生き返るわけではない。取り返しのつかない失敗を責めて罰を重ねても何も戻らない。怒りにまかせず、何が本当に意味のある対応かを考える、上に立つ者の冷静さを伝える逸話。

座右の銘にするなら・面接での答え方

後輩が大事な道具を壊してしまった時、責めても道具は直らないと思い、まず一緒に代わりを探しました。後輩はその後とても丁寧に仕事をするようになりました。失敗への対応で人は育つと実感した言葉です。

人物の説明の参考:https://ja.wikipedia.org/wiki/徳川光圀

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