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上杉鷹山の肖像写真
肖像画:作者不詳(江戸時代)『上杉鷹山像』(パブリックドメイン)(ファイルのページ)

上杉鷹山の名言

上杉鷹山(上杉治憲)|1751〜1822年|日本|米沢藩主(第9代)

日向高鍋藩主の家に生まれ、10歳で米沢藩上杉家の養子となった。17歳で藩主を継いだ時、藩は20万両もの借金を抱えて破綻寸前だった。自ら木綿の服と一汁一菜で倹約し、産業を興し、藩校・興譲館を再興して身分を問わず学ばせ、藩を立て直した。江戸時代を代表する名君と呼ばれ、隠居後の号が「鷹山」。

のせている言葉:6こ(出典あり 4・伝承・出典未確認 2)更新:2026-10-20

この人の名言の一覧(6こ)
  1. なせば成る なさねば成らぬ何事も 成らぬは人の …
  2. 国家人民の為に立たる君にして、君の為に立たる国家…
  3. 国家は先祖より子孫へ伝え候国家にして、我私すべき…
  4. 受けつぎて国のつかさの身となれば忘るまじきは民の…
  5. 自助・共助・扶助
  6. してみせて 言って聞かせて させてみる

それぞれの名言に、出典(どの本・手紙・演説か)と、確かさのしるし(出典あり伝承・出典未確認実は言っていない)をつけています。外国語の言葉は運営者が原文から訳しました。

なせば成なる なさねば成ならぬ何事なにごとも 成ならぬは人ひとの なさぬなりけり

出典:鷹山が次の藩主に示した歌(『上杉家文書』の鷹山書状)

出典についてWikipediaは『上杉家文書』(国宝)の鷹山書状にあり、「伝国の辞」とともに次期藩主へ伝えられたとする。農林水産省のページも鷹山の言葉として紹介。ただし言い回しの元は『書経』の「弗為胡成(為さずんば胡ぞ成らん)」で、武田信玄の作とされる「為せば成る、為さねば成らぬ成る業を、成らぬと捨つる人のはかなき」や平田篤胤の似た歌もある。Wikiquoteは作者不詳とも注記しており、鷹山が一から作った歌とまでは言えない。

意味と背景

何事もやればできるし、やらなければできない。できないのは、その人がやらないからだ、という歌。信玄のものとされる歌が「あきらめる人ははかない」と嘆くのに対し、鷹山の歌は「できないのはやらないから」と行動の責任を自分に向けている。

座右の銘にするなら・面接での答え方

定番中の定番ですが、似た歌が信玄にもあり、元は中国の古典だと知っていると一歩深く話せます。面接では、無理だと言われた目標に取り組んで達成した経験と合わせ、「できない理由より、やる方法を探す」と伝えると良いです。

国家こっか人民じんみんの為ために立たてたる君きみにして、君きみの為ために立たてたる国家こっか人民じんみんにはこれ無なく候そうろう

出典:「伝国の辞」第三条(天明5年2月7日=1785年、次期藩主・上杉治広へ)

出典についてWikiquoteの「出典の明らかなもの」、Wikipedia「上杉治憲」に原文が載る。家督を譲る際に治広へ渡した三か条で、明治の版籍奉還まで上杉家の代々の藩主に家訓として受け継がれた。

意味と背景

殿様は国と民のためにいるのであって、国と民が殿様のためにあるのではない、という意味。江戸時代の藩主が自らの立場をこう定義したのは画期的で、上に立つ者の役目は仕えられることではなく仕えることだと示している。

座右の銘にするなら・面接での答え方

部長を任された時、自分がやりたいことより部員が力を出せる環境を作ることを優先しました。面接ではリーダー経験を話す時に「上に立つ人は、みんなのためにいる」という考えの出どころとして紹介できます。

国家こっかは先祖せんぞより子孫しそんへ伝つたえ候そうろう国家こっかにして、我われ私わたくしすべき物ものにはこれ無なく候そうろう

出典:「伝国の辞」第一条(1785年)

出典についてWikiquote・Wikipediaに原文が載る「伝国の辞」の第一条。

意味と背景

国(藩)は先祖から子孫へと受け渡していくもので、今の藩主が自分のものとして好き勝手にしてよいものではない、という意味。自分は預かっている途中の人にすぎないという考えで、次の世代へ良い形で渡す責任を説いている。

座右の銘にするなら・面接での答え方

部活の伝統や道具を「先輩から預かって後輩に渡すもの」と考えて大切に扱ってきました。面接では、組織の一員として長い目で物事を考える姿勢を伝える言葉として使えます。

受うけつぎて国くにのつかさの身みとなれば忘わするまじきは民みんの父母ふぼ

出典:家督を継いだ際、春日大明神に奉納した誓詞に書きつけた歌(1767年)

出典についてコトバンク(『世界大百科事典』)の「上杉治憲」の項に、家督相続の際に春日大明神に奉納した誓詞に書きつけた歌として載る。

意味と背景

家を受け継いで国を治める立場になった以上、民の父母であることを忘れてはならない、という歌。17歳で藩主になった鷹山が神に誓った決意で、師の細井平洲から学んだ「君主は民の父母であれ」という教えを自分の言葉にしている。

座右の銘にするなら・面接での答え方

新しく役職に就いた時、最初に何を誓うかが大事だと教えてくれる歌です。面接では「入社したら、まず〇〇を忘れない」と自分なりの誓いを一つ言えるようにしておくと、この歌の紹介が生きます。

5伝承・出典未確認#リーダー#友情#生き方
自助じじょ・共助きょうじょ・扶助ふじょ

出典:米沢藩を立て直した改革の根本方針「三助」として伝わる言葉

出典についてWikipediaは「自助・共助・扶助の三助を唱えたとされる」と書き、鷹山の文書の原文までは示していない。今回は鷹山自身がこの三語をそのまま書いた一次資料を確かめられなかった。改革の考え方を後世に整理した言葉の可能性もある。

意味と背景

自分のことは自分で助け(自助)、近所や仲間で助け合い(共助)、藩が足りない所を支える(扶助)、という三つの助け合い。財政難の中で藩だけに頼らず、民と共に立て直そうとした改革の精神を表す言葉として知られる。

座右の銘にするなら・面接での答え方

まず自分でやってみて、無理なら仲間と助け合い、それでも難しければ上に相談する、という順番を大切にしています。面接では、問題解決の進め方を説明する枠組みとして使うと分かりやすく伝わります。

6伝承・出典未確認#教育#リーダー#仕事
してみせて 言いって聞きかせて させてみる

出典:鷹山の語録として伝わる言葉

出典について山本五十六の「やってみせ…」の元になった鷹山の言葉として、Wikipedia「山本五十六」などで紹介される。しかし鷹山の書状や「伝国の辞」、Wikipedia「上杉治憲」にはこの言葉がなく、鷹山のどの文書にあるのか一次資料を確かめられなかった。

意味と背景

まず自分がやって見せ、言葉で説明し、実際にやらせてみる、という人の教え方の順番。山本五十六の有名な言葉はこれに「ほめてやらねば人は動かじ」を加えた形と言われ、時代を超えて教える側の心得として伝わってきた。

座右の銘にするなら・面接での答え方

後輩に仕事を教える時、この三段階を意識しています。面接では山本五十六の言葉と元になったとされるこの言葉を並べ、「どちらも出典は確かでないが、教え方の型として役立っている」と話すと、調べる姿勢も伝わります。

人物の説明の参考:https://ja.wikipedia.org/wiki/上杉治憲

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