出典:国立国会図書館「近代日本人の肖像」(https://www.ndl.go.jp/portrait/)太宰治の名言
太宰治|1909〜1948年|日本|小説家
青森県金木村の大地主の家に生まれる。本名は津島修治。東京帝大仏文科に入るが中退し、心中未遂や薬物中毒をくり返しながら『走れメロス』『富嶽百景』『津軽』『斜陽』などを書いた。自分をさらけ出す語りかけるような文体で人気を集めたが、『人間失格』を書き上げた1948年、玉川上水で入水し38歳で亡くなった。
のせている言葉:16こ(出典あり 16)更新:2026-10-20
この人の名言の一覧(16こ)
- 恥の多い生涯を送って来ました。
- ただ、一さいは過ぎて行きます。
- 私たちの知っている葉ちゃんは、とても素直で、よく…
- メロスは激怒した。
- 私は、信頼に報いなければならぬ。いまはただその一…
- 信実とは、決して空虚な妄想ではなかった。
- 人間は恋と革命のために生れて来たのだ。
- 幸福感というものは、悲哀の川の底に沈んで、幽かに…
- 生れて、すみません。
- 富士には、月見草がよく似合ふ。
- さらば読者よ、命あらばまた他日。元気で行かう。絶…
- 幸福は一夜おくれて来る。
- 人非人でもいいじゃないの。私たちは、生きていさえ…
- 私はなんにも知りません。しかし、伸びて行く方向に…
- 微笑もて正義を為せ!
- 子供より親が大事、と思いたい。
それぞれの名言に、出典(どの本・手紙・演説か)と、確かさのしるし(出典あり伝承・出典未確認実は言っていない)をつけています。外国語の言葉は運営者が原文から訳しました。
恥の多い生涯を送って来ました。
出典:『人間失格』第一の手記 冒頭(1948年)
出典について青空文庫『人間失格』「第一の手記」の書き出し。語り手は主人公・大庭葉蔵で、太宰本人の告白そのものではなく小説の人物の手記という形をとっている。
意味と背景
日本文学で最も有名な書き出しの一つ。人間の営みがわからず、道化を演じて生きてきた主人公が、自分の人生をひとことでまとめた言葉。恥を隠さず最初に差し出すことで、読者を一気に手記の中へ引き込む。
座右の銘にするなら・面接での答え方
座右の銘には向きませんが、「失敗を隠さず話せる人」の例として紹介できます。面接で失敗談を聞かれた時、「恥の多い学生生活でしたが」と軽く前置きすると場がなごみ、その後の反省の話が素直に伝わります。
ただ、一さいは過ぎて行きます。
出典:『人間失格』第三の手記・二の結び(1948年)
出典について青空文庫『人間失格』の手記の最後の部分にある。続けて「所謂『人間』の世界に於いて、たった一つ、真理らしく思われたのは、それだけでした」と書かれる。
意味と背景
幸福も不幸もなくなった主人公が、ただ一つ真理らしく思えたのは、すべては過ぎ去っていくということだけだった、と語る。絶望の言葉に見えるが、どんな苦しみもいつかは過ぎるという、静かななぐさめとして読む人も多い。
座右の銘にするなら・面接での答え方
受験の不安でつぶれそうな時、「どんな日も過ぎていく」と思うと気持ちが軽くなりました。面接では、苦しい時期をどう乗り越えたかを話す中で、自分を落ち着かせる言葉として紹介できます。
私たちの知っている葉ちゃんは、とても素直で、よく気がきいて、あれでお酒さえ飲まなければ、いいえ、飲んでも、……神様みたいないい子でした
出典:『人間失格』あとがき(1948年)
出典について青空文庫『人間失格』の最後の一文。主人公を知るバーのマダムのせりふ。
意味と背景
自分を「人間失格」と書いた主人公を、周りの人は神様みたいないい子だったと覚えていた、という結び。人が自分をどう見ているかと、他人の目に映る姿はまったく違うことがある。救いのない物語の最後に置かれた、小さな光のような一文。
座右の銘にするなら・面接での答え方
自分に厳しくなりすぎた時に思い出したい言葉です。面接では「自分の評価と他人の評価は違う。だから周りの声も聞くようにしている」と、フィードバックを大切にする姿勢を話すきっかけになります。
メロスは激怒した。
出典:『走れメロス』冒頭(1940年)
出典について青空文庫『走れメロス』の書き出し。シラーの詩などを下敷きにした短編。
意味と背景
教科書でおなじみの、九文字で物語を動かす書き出し。人を信じられず家臣を殺す王に、村の羊飼いメロスが怒る。政治はわからないが悪には人一倍敏感、と続き、主人公のまっすぐさが一行で伝わる。
座右の銘にするなら・面接での答え方
座右の銘というより、文章の書き出しの手本として紹介できます。面接で「最近感動した文章は」と聞かれたら、短く強い一文で始める大切さをこの冒頭から学び、レポートの書き方を変えた話をすると良いです。
私は、信頼に報いなければならぬ。いまはただその一事だ。
出典:『走れメロス』(1940年)
出典について青空文庫『走れメロス』の、メロスが疲れ果てて一度あきらめた後に再び走り出す場面にある。
意味と背景
自分の命など問題ではない、待っている友の信頼に応えることだけが今やるべきことだ、という決意。一度は「もうどうでもいい」と心が折れたメロスが、湧き水を飲んで立ち直る場面で、弱さを経てから出てくる強さが胸を打つ。
座右の銘にするなら・面接での答え方
チームの代表を任された時、期待に応えることだけを考えて準備しました。面接では「信頼に報いる」を自分の仕事の基準にしていると伝え、任されたことをやり切った具体的な経験を一つ添えると良いです。
信実とは、決して空虚な妄想ではなかった。
出典:『走れメロス』結末(1940年)
出典について青空文庫『走れメロス』の結末で、王(暴君ディオニス)が二人に語るせりふ。
意味と背景
人を信じることなどできないと言っていた王が、約束を守って戻ったメロスと、彼を信じて待った友セリヌンティウスを見て、真心はむなしい思い込みではなかったと認める。人を疑い続けた者の心が変わる瞬間の言葉。
座右の銘にするなら・面接での答え方
人を信じるのが怖くなった時に思い出したい言葉です。面接では、友人との約束を守り続けて信頼関係を築いた経験と合わせて、「信じ合える関係は作れる」と考えていることを伝えられます。
人間は恋と革命のために生れて来たのだ。
出典:『斜陽』五(1947年)
出典について青空文庫『斜陽』の「五」にある。語り手のかず子の言葉(「私は確信したい。」に続く)で、太宰が自分の主張として述べたものではない。
意味と背景
没落していく貴族の娘かず子が、古い道徳を捨て、自分の意志で生きると決める場面の言葉。大人たちは恋や革命を酸っぱい葡萄だとうそを教えてきたのだ、と言い切る。戦後の価値観の大転換を背景にした、強い宣言。
座右の銘にするなら・面接での答え方
座右の銘としては刺激が強いので、「古い常識をうのみにせず、自分で確かめて生き方を選ぶ」という意味で使うのがおすすめです。小説の主人公の言葉だと添えると、読書家らしさも伝わります。
幸福感というものは、悲哀の川の底に沈んで、幽かに光っている砂金のようなものではなかろうか。
出典:『斜陽』五(1947年)
出典について青空文庫『斜陽』の「五」にある。語り手かず子の思い。
意味と背景
幸せとは、悲しみの川の底でかすかに光る砂金のようなものではないか、という意味。悲しみの限りを通り過ぎた後に来る不思議に明るい気持ち、それが幸福感なら、自分たちも今は幸福なのだと続く。悲しみと幸せを一つながりに見る言葉。
座右の銘にするなら・面接での答え方
つらい時期を越えた後に、小さな幸せに気づけた経験と重なる言葉です。面接では「悲しいことの中にも光るものを探せる」という前向きさを、自分の体験と一緒に穏やかに伝える時に使えます。
生れて、すみません。
出典:「二十世紀旗手」副題(1937年)
出典について青空文庫「二十世紀旗手――(生れて、すみません。)」の副題として本文にある。ただし太宰の友人の回想によれば、元は太宰の知人の詩人が作った一行詩で、太宰がそれを借りて使ったとされ、当時からもめごとになった。太宰が作品に掲げたのは確かだが、言葉を最初に作ったのは太宰ではない可能性が高い。
意味と背景
生まれてきたことそのものを詫びる、太宰を象徴する言葉として知られる。実際には短編の副題として一度掲げられただけで、元は別の詩人の一行詩だったという話が伝わる。「太宰らしい言葉」が本当は誰のものかを考えさせる例。
座右の銘にするなら・面接での答え方
座右の銘にはしないほうが良い言葉ですが、雑学として「太宰の代名詞なのに、元は知人の詩だったらしい」と話すと面白がってもらえます。有名な言葉の出どころを確かめる大切さを示す例として使えます。
富士には、月見草がよく似合ふ。
出典:『富嶽百景』(1939年)
出典について青空文庫『富嶽百景』の本文にある(旧かなのまま。現代かなでは「似合う」)。
意味と背景
堂々とした富士山と向き合っても、みじんもゆるがずけなげに立つ小さな月見草がよかった、という場面の結びの言葉。大きなものに小さなものが負けていない美しさを見つけた、太宰の再出発の時期を代表する一文。
座右の銘にするなら・面接での答え方
大きな組織や強い相手の前でも、自分らしさを失わずにいたいという意味で使えます。面接では「小さくても、けなげに立つ月見草のように」と、自分の持ち味を大事にする姿勢を印象づけられます。
さらば読者よ、命あらばまた他日。元気で行かう。絶望するな。では、失敬。
出典:『津軽』本編「五 西海岸」結び(1944年)
出典について青空文庫『津軽』の最後の文。旧かなのまま(現代かなでは「元気で行こう」)。
意味と背景
故郷の津軽を旅して育ての親のたけと再会した紀行の、最後の別れのあいさつ。戦争中の苦しい時代に、読者に向かって「絶望するな」と語りかけた。暗いイメージの強い太宰が、明るく背中を押してくれる言葉。
座右の銘にするなら・面接での答え方
太宰にこんな明るい言葉があると知って驚いた、という話から入れます。面接では落ち込んだ友人を励ました経験などと合わせ、「絶望するな、では失敬」と軽やかに前を向くことを大切にしていると話せます。
幸福は一夜おくれて来る。
出典:『女生徒』(1939年)
出典について青空文庫『女生徒』の本文にある。語り手の少女がふと思い出す言葉として書かれている。
意味と背景
幸せを待ちきれず家を飛び出した翌日に、すばらしい知らせが届いたが遅かった、という話を思い浮かべながら少女がつぶやく言葉。幸せはあきらめた次の日にやってくるかもしれない、だからもう一晩待とう、と読める。
座右の銘にするなら・面接での答え方
結果がなかなか出ずにやめたくなった時、「あと一晩待とう」と思わせてくれる言葉です。面接では、粘り強く続けた結果、最後の最後で成果が出た経験と合わせて話すと印象的です。
人非人でもいいじゃないの。私たちは、生きていさえすればいいのよ。
出典:『ヴィヨンの妻』結び(1947年)
出典について青空文庫『ヴィヨンの妻』の最後の一文。語り手である妻のせりふ。
意味と背景
だらしない詩人の夫が自分を「人非人ではない」と言いわけするのに対し、妻はうれしくもなく、人でなしでもいい、生きてさえいればいいのだと返す。立派さより生きのびることを選ぶ、強くてしなやかな言葉。
座右の銘にするなら・面接での答え方
完璧でなくても生きていればやり直せる、という意味で心に置いています。面接で座右の銘にするには言葉が強いので、「まずは続けること、生きのびることが大事」と自分の言葉に言い直して話すと良いです。
私はなんにも知りません。しかし、伸びて行く方向に陽が当るようです。
出典:『パンドラの匣』結び(1945〜46年連載)(1946年)
出典について青空文庫『パンドラの匣』の最後の手紙の結びにある。「伸びて行く植物の蔓に聞いたほうがよい。蔓は答えるだろう」に続く、蔓のせりふとして書かれている。
意味と背景
この道がどこへ続くのかは分からない。けれど伸びていく方向には日が当たるようだ、と植物のつるが答える。終戦直後、先の見えない時代を生きる若者に向けて、未来を言い切らずに希望を手渡した言葉。
座右の銘にするなら・面接での答え方
進路に迷った時、答えがわからなくても伸びる方向に進めば道は開けると思えた言葉です。面接では「将来像は完全には見えていないが、成長できる方向を選んでいる」と正直に話す時に使えます。
微笑もて正義を為せ!
出典:『正義と微笑』四月十六日の日記(1942年)
出典について青空文庫『正義と微笑』の最初の日記(四月十六日)の中にある。16歳の主人公が自分で作ったモットーとして書かれている。
意味と背景
正しいことをする時こそ、怖い顔ではなく微笑みを忘れるな、という意味。主人公は「いいモットオが出来た」と喜んで壁に貼ろうとし、すぐに人に見せたがる自分を偽善者かもと反省する。少年らしい真剣さとおかしみが同居する。
座右の銘にするなら・面接での答え方
注意すべきことを言う時ほど笑顔で、と心がけています。面接では、委員会でルール違反を指摘する役だった時に、責めずに笑顔で伝えたら協力してもらえた、という経験と合わせると具体的になります。
子供より親が大事、と思いたい。
出典:『桜桃』冒頭(1948年)
出典について青空文庫『桜桃』の書き出し。太宰の命日は作品名から「桜桃忌」と呼ばれる。
意味と背景
子供のために、と立派なことを考えてみても、実は親のほうが弱いのだ、と続く。「思いたい」という言い方に、親として強くあれない自分への言いわけと苦しさがにじむ。晩年の太宰の家庭を思わせる短編の冒頭。
座右の銘にするなら・面接での答え方
座右の銘には向きませんが、親も弱さを抱えた一人の人間だと気づかせてくれる言葉として紹介できます。家族について聞かれた時、親への見方が変わったきっかけとして話すと深みが出ます。
人物の説明の参考:https://ja.wikipedia.org/wiki/太宰治
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