肖像画:狩野宗秀『織田信長像』(パブリックドメイン)(ファイルのページ)織田信長の名言
織田信長|1534〜1582年|日本(尾張国=愛知県西部)|戦国大名
尾張国の戦国大名。若い頃は「うつけ(愚か者)」と呼ばれたが、桶狭間の戦いで今川義元を破って頭角を現した。足利義昭を立てて京に上り、のちに室町幕府を事実上終わらせた。鉄砲の大量使用、楽市楽座、安土城の築城など新しい政策で天下統一を進めたが、家臣の明智光秀に背かれ、京都の本能寺で亡くなった。家臣の太田牛一が書いた『信長公記』が、行動を知る一番の手がかりになっている。
のせている言葉:7こ(出典あり 5・実は言っていない 2)更新:2026-10-20
この人の名言の一覧(7こ)
- 人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻の如くなり…
- 小勢だからといって大敵をおそれるな。運は天にある…
- 是非に及ばず。
- であるか。
- 天下布武。
- 鳴かぬなら殺してしまえホトトギス。
- 人間五十年、下天のうちをくらぶれば、夢幻のごとく…
それぞれの名言に、出典(どの本・手紙・演説か)と、確かさのしるし(出典あり伝承・出典未確認実は言っていない)をつけています。外国語の言葉は運営者が原文から訳しました。
人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻の如くなり。一度生を得て、滅せぬ者のあるべきか。
出典:太田牛一『信長公記』首巻(桶狭間の戦いの出陣前)。言葉は幸若舞「敦盛」の一節(1560年)
出典について信長の家臣・太田牛一の『信長公記』に「此時信長敦盛の舞を遊し候、人間五十年下天の内をくらふれは夢幻の如く也、一度生を得て滅せぬ者の有へきか」とあり、出陣前に信長が舞い謡ったことは記録されている。ただし言葉の作者は信長ではなく、中世の芸能・幸若舞「敦盛」の詞章である。
意味と背景
人の一生の五十年は、天上の世界の時間に比べれば夢や幻のように短い。生まれた者で死なない者はいない、という意味。信長はこの舞を好み、桶狭間に出陣する前にも舞ったと記録されている。「人生五十年」の言い回しはここから来ている。
座右の銘にするなら・面接での答え方
「人生は短いからこそ、迷っている時間がもったいない」と、決断の速さを語る時に使える。信長が作った言葉ではなく、愛した舞の一節だと正しく添えると、知識の確かさが伝わる。
小勢だからといって大敵をおそれるな。運は天にある。
出典:太田牛一『信長公記』首巻(桶狭間の戦い)(1560年)
出典について『信長公記』に、今川軍に向かう前に信長が将兵に語った言葉として「其上莫小軍にシテ怖大敵、運は在於天、此語は不知哉」とある(返り点は省いた)。信長自身も「この言葉を知らないか」と言っており、昔からある言い回しを引いたもの。
意味と背景
桶狭間の戦いで、数ではるかに勝る今川軍に向かう前に、信長が兵を励ました言葉。少ない人数でも大軍を恐れるな、勝ち負けの運は天が決めるのだから、全力でぶつかれ、という意味である。この戦いの勝利で信長は一気に名を上げた。
座右の銘にするなら・面接での答え方
「相手が大きくても、ひるまず全力でぶつかることを大事にしています。大手との競合コンペで小さなチームでも勝てました」と、不利な状況で挑んだ経験と合わせると、挑戦心が伝わる。
是非に及ばず。
出典:太田牛一『信長公記』巻十五(本能寺の変)(1582年)
出典について『信長公記』に、本能寺が襲われ「これは謀叛か、誰の企てか」と問う信長に、森乱(蘭丸)が「明智の者と見えます」と答えると、信長が「是非に及ばず」と言ったとある。太田牛一はその場にいなかったので、生き残った人からの伝聞にもとづく記録である(同じ場面で信長は、そばにいた女たちに「女は構わないから早く出よ」と逃がしている)。
意味と背景
「良いも悪いもない、仕方がない」「あれこれ言っている場合ではない」という意味。明智光秀の謀叛と知った信長の最後の言葉として有名である。あきらめとも、すぐに戦う覚悟を決めた言葉とも読める。
座右の銘にするなら・面接での答え方
「起きてしまったことを嘆くより、すぐ次の手を打つ」という切り替えの早さを語る時に使える。「トラブルが起きたら、原因探しより先に被害を止める対応を考えます」と、具体的な行動と結びつけるとよい。
であるか。
出典:太田牛一『信長公記』首巻(正徳寺での斎藤道三との会見)(1553頃年)
出典について『信長公記』に、会見の場で「こちらが山城殿(斎藤道三)でございます」と告げられた信長が「であるか」と答えて座敷に入ったとある(原文「是そ山城殿にて御座候と申時であるかと被仰候」)。
意味と背景
「うつけ」とうわさの若い信長が、義父となる斎藤道三と初めて会った場面の短い返事。途中ではだらしない格好で現れながら、会見では正装で堂々とふるまった。道三は帰り道、「自分の子たちはあのうつけの門前に馬をつなぐことになる」と言ったと記されている。
座右の銘にするなら・面接での答え方
座右の銘ではなく、「第一印象より本番の中身で勝負する」話のたねになる。「信長は会見の場では一言『であるか』で、器の大きさを示したそうです」と紹介し、自分も本番で結果を出すタイプだと話せる。
天下布武。
出典:信長が永禄10年(1567年)11月ごろから使い始めた朱印の印文
出典について信長の発給文書に押された印に刻まれた言葉で、実物の文書が多く残る。ただし意味は「武力で日本全国を統一する」ではなく、「天下」は京都を中心とした五畿内を指すとする見方が有力(日本語版Wikipedia)。
意味と背景
美濃を手に入れた頃から信長が使い始めた印の言葉。昔は「武力で天下を取る」宣言と考えられていたが、今は「天下=京都周辺」に武家の秩序を打ち立てる、室町幕府を立て直すという意味だったとする説が有力になっている。
座右の銘にするなら・面接での答え方
座右の銘としては強すぎる言葉なので、目標を宣言する大切さを語る時の話のたねにするとよい。「信長は目標を印に刻んで毎日使いました。私も目標を手帳の一ページ目に書いています」と使える。
鳴かぬなら殺してしまえホトトギス。
出典:松浦静山の随筆『甲子夜話』巻五十三(江戸後期)に、作者不明の句として載る
本当の出どころ信長の句ではない。江戸時代後期、平戸藩主・松浦静山の随筆『甲子夜話』に、三人の天下人の性格をホトトギスで詠み分けた作者不明の句として「なかぬなら殺してしまへ時鳥 織田右府」と出てくるのが元。信長の死から200年以上後の記録で、句は後世の人が信長らしさを想像して作ったもの(日本語版Wikiquote・Wikipedia「甲子夜話」)。
意味と背景
信長の短気で苛烈な性格を表す句として広く知られるが、本人の言葉ではなく、江戸時代の人が描いた「信長像」である。実際の信長は、家臣の妻に気づかいの手紙を送るなど細やかな面もあったと伝えられ、イメージとのずれに注意したい。
この言葉の使い方
座右の銘には使えないが、「イメージと事実は違うことがある」という話のたねになる。「この句は信長本人ではなく江戸時代の随筆が元です」と紹介すれば、思い込みを確かめる姿勢を示せる。
人間五十年、下天のうちをくらぶれば、夢幻のごとくなり。
出典:幸若舞「敦盛」の一節(『信長公記』に信長が舞った記録)
本当の出どころ信長の言葉として広く知られるが、信長が作った言葉ではない。もとは平敦盛の最期を題材にした幸若舞「敦盛」の一節で、信長はこれを好んで舞った。『信長公記』には、桶狭間の戦いに出陣する前にこの一節を舞ったと書かれている。
意味と背景
人の世の50年は、天上の世界の時間に比べれば夢や幻のように短くはかないという意味。「人間」はもとは「じんかん」と読み「人の世」を指す。「昔の人の寿命は50年」という意味ではない。
この言葉の使い方
座右の銘にするなら、限られた時間を大切に生きる心がけとして。面接では、残された時間を意識して一つのことに打ちこんだ経験を話すとよい。信長の作ではなく幸若舞の一節で、「寿命50年」の意味ではないと説明できると教養が伝わる。
人物の説明の参考:https://ja.wikipedia.org/wiki/織田信長
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