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岩崎弥太郎の肖像写真
出典:国立国会図書館「近代日本人の肖像」(https://www.ndl.go.jp/portrait/)

岩崎弥太郎の名言

岩崎弥太郎|1835〜1885年|日本(土佐国=高知県安芸市)|実業家(三菱の創業者)

土佐国の地下浪人(身分の低い武士)の家に生まれた。江戸に遊学したのち、父の事件で投獄されるなど苦労を重ね、土佐藩の参政・吉田東洋や後藤象二郎に認められて藩の商売を担った。長崎では坂本龍馬とも交流した。明治維新後に藩の海運事業を引き継いで三菱商会を興し、外国の海運会社との競争に勝って日本の海運を築いた。今日の三菱グループの創業者で、50歳で亡くなった。

のせている言葉:7こ(出典あり 2・伝承・出典未確認 4・実は言っていない 1)更新:2026-10-20

この人の名言の一覧(7こ)
  1. (坂本龍馬と後藤象二郎の船出を見送り)わたしは思…
  2. 水到れば渠と成る(水到渠成)。
  3. われ、志を得なければ、二度とこの山には登らない。
  4. 役人は賄賂で動き、裁きは好き嫌いで決まる。
  5. いずれアメリカに、ヨーロッパに、世界の海に進出す…
  6. 志したことの、十のうちの一か二しかできなかった。
  7. 人は天の道にそむかないこと。子に苦労をかけないこ…

それぞれの名言に、出典(どの本・手紙・演説か)と、確かさのしるし(出典あり伝承・出典未確認実は言っていない)をつけています。外国語の言葉は運営者が原文から訳しました。

1出典あり#友情#夢
(坂本さかもと龍馬りょうまと後藤ごとう象二郎しょうじろうの船出ふなでを見送みおくり)わたしは思おもわず涙なみだを何なん筋すじも流ながした。

出典:弥太郎の日記(慶応3年=1867年6月9日、長崎)。三菱商事「あゆみ『挑戦』の原点」第6話に引用

出典について弥太郎自身が長崎で書いていた日記の一節として、三菱商事の社史読み物に引用されている。龍馬はこの船の中で「船中八策」をまとめたとされる。

意味と背景

京都へ向かう龍馬と後藤象二郎を長崎で見送った日の日記。豪快で知られる弥太郎が、思わず涙を流したと正直に書いている。別の日の日記には、龍馬と酒をくみかわして心の内を語り合い、龍馬が手を打って賛成したことも記されている。

座右の銘にするなら・面接での答え方

座右の銘ではなく、仲間との絆を語る話のたねになる。「三菱を作った弥太郎も、龍馬を見送る日記に涙を流したと書いています。私も、志を語り合える仲間を大切にしたい」と使える。

2出典あり#努力#励まし
水みず到いたれば渠みぞと成なる(水到渠成すいとうきょせい)。

原文(漢文)水到渠成

出典:弥太郎の書。言葉は南宋の詩人・范成大の詩の一節。三菱商事「あゆみ『挑戦』の原点」第9話(写真提供:三菱史料館)

出典について弥太郎が書いた書が三菱史料館に残り、三菱商事の社史読み物で写真とともに紹介されている。ただし言葉の作者は弥太郎ではなく、南宋の范成大。

意味と背景

水が流れてくれば、自然に溝(渠)ができる。あれこれ策をめぐらせなくても、努力を続けていれば物事は自然にできあがる、という意味。数々の困難を乗り越えて事業を築いた弥太郎が、好んで書いた言葉である。

座右の銘にするなら・面接での答え方

「結果を焦らず、努力を続ければ道は自然にできると信じています」と、継続の大切さを語る時に使える。漢字四字で書けるので、色紙や手帳に書く座右の銘としても見栄えがよい。

3伝承・出典未確認#夢#挑戦#勇気
われ、志こころざしを得えなければ、二に度どとこの山やまには登のぼらない。

出典:安政元年(1854年)、江戸遊学に旅立つ前夜、故郷の星神社の門扉に書いたと伝わる言葉。三菱商事「あゆみ『挑戦』の原点」第3話

出典について三菱商事の公式サイトの社史読み物(三菱史料館の資料をもとにした成田誠一の解説)に、旅立ちの前夜に書き記した言葉として紹介されている。書かれた扉そのものは確認できず、逸話として伝わる言葉。

意味と背景

村一番のわんぱくだった19歳の弥太郎が、江戸で学問をする機会をつかみ、子分を率いてよく登った裏山の神社に「志を果たすまでは帰らない」と書き残したと伝わる。貧しい家の若者が、学問で世に出ようとした強い決意が表れている。

座右の銘にするなら・面接での答え方

「上京する前の晩、この言葉をノートの一ページ目に書きました」など、自分の旅立ちと重ねると印象に残る。地方から都会に出て挑戦する人の自己紹介や、志望動機の締めくくりに向いている。

4伝承・出典未確認#勇気#失敗#人生
役人やくにんは賄賂わいろで動うごき、裁さばきは好すき嫌きらいで決きまる。

出典:父がけがをさせられた事件の訴えが退けられた時、奉行所の壁に墨で大書したと伝わる言葉。三菱商事「あゆみ『挑戦』の原点」第4話(1855頃年)

出典について三菱商事の公式サイトの社史読み物に、弥太郎が奉行所の壁に書いた言葉として紹介されている。壁そのものは残っておらず、伝記に伝わる逸話。

意味と背景

父が村の庄屋らとのもめごとで大けがをし、弥太郎は訴え出たが、証人はみな庄屋の味方で取り上げられなかった。怒った弥太郎はこの言葉を壁に書き、投獄された。不正への怒りと反骨心を示す言葉で、獄中で商人から算術を学んだことが後の人生を変えた。

座右の銘にするなら・面接での答え方

座右の銘にするには激しすぎるが、「理不尽な経験が、自分の力で道を開こうと思うきっかけになった」という話をする時、弥太郎の若き日の逸話として紹介すると、逆境をばねにする姿勢が伝わる。

5伝承・出典未確認#夢#挑戦
いずれアメリカに、ヨーロッパに、世界せかいの海うみに進出しんしゅつする。

出典:明治8年(1875年)、横浜・上海航路の第一便を見送った時の言葉として伝わる。三菱商事「あゆみ『挑戦』の原点」第7話

出典について三菱商事の社史読み物に、埠頭で見送った弥太郎の言葉として紹介されている。記録した一次資料は示されておらず、伝わる言葉として扱う。

意味と背景

日本の会社として初めての外国航路となる横浜・上海航路の第一便を見送った時、弥太郎は世界の海への進出を誓ったと伝わる。その後、米国やイギリスの大きな海運会社との激しい運賃競争に勝ち、日本の海運の自立を実現した。

座右の銘にするなら・面接での答え方

「今は小さな一歩でも、いずれ世界で通用する仕事をしたい」と、大きな夢を語る時に使える。海外志向の就職面接で、自分の目標と一緒に話すと、志の大きさが伝わる。

6伝承・出典未確認#夢#人生#努力
志こころざしたことの、十じゅうのうちの一いちか二にしかできなかった。

出典:臨終の言葉として『岩崎彌太郎伝』が伝える(明治18年=1885年2月)。三菱商事「あゆみ『挑戦』の原点」第9話に引用

出典について三菱がまとめた伝記『岩崎彌太郎伝』に最期の言葉として記され、三菱商事の社史読み物に引用されている。母・美和の手記にも、ほぼ同じ最期の様子が書かれている。伝記による記録なので、言葉どおりかは確かめられない。

意味と背景

三菱を日本一の海運会社に育てた弥太郎が、50歳で亡くなる時に「やりたいことの一割か二割しかできなかった」と語ったと伝わる。あれほどの仕事をしてもなお志は果てしなかったことが分かる。弟の弥之助に後を託し、三菱は今に続いた。

座右の銘にするなら・面接での答え方

「どれだけ成果を出しても満足せず、志を大きく持ち続けたい」と、向上心を語る時に使える。弥太郎ほどの人でさえ十のうち一か二と言った、と添えると、謙虚さと野心の両方が伝わる。

7実は言っていない#家族#生き方#健康
人ひとは天てんの道みちにそむかないこと。子こに苦労くろうをかけないこと。他人たにんの中傷ちゅうしょうで心こころを動うごかさないこと。一家いっかを大切たいせつに守まもること。無病むびょうの時ときに油断ゆだんしないこと。貧まずしい時ときのことを忘わすれないこと。常つねに忍耐にんたいの心こころを失うしなわないこと。

出典:岩崎家の家訓(七か条)。弥太郎の母・美和が残したもの。三菱商事「あゆみ『挑戦』の原点」第1話

本当の出どころ弥太郎の言葉として紹介されることがある(日本語版Wikiquoteなど)が、三菱商事の社史読み物と日本語版Wikipediaによれば、この七か条は弥太郎の母・美和が残した岩崎家の家訓。弥太郎本人の言葉ではない。

意味と背景

天の道に背かない、他人の悪口に心を乱されない、元気な時こそ油断しない、貧しかった頃を忘れない、など、苦労人の母らしい実際的な教え。三菱の幹部たちにも受け継がれ、おごらない社風の土台になったといわれる。

この言葉の使い方

「貧しい時のことを忘れない」「無病の時に油断しない」など、一か条だけを選んで座右の銘にしやすい。使う時は「三菱を作った岩崎弥太郎の母が残した家訓の一つです」と正しく紹介すると、話に深みが出る。

人物の説明の参考:https://ja.wikipedia.org/wiki/岩崎弥太郎

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