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真田幸村の肖像写真
肖像画:作者不詳(江戸時代)『真田信繁(幸村)像』(パブリックドメイン)(ファイルのページ)

真田幸村の名言

真田信繁(真田幸村)|1567または1570〜1615年|日本(戦国〜江戸時代初期)|戦国武将

信濃(長野県)上田の真田昌幸の次男。関ヶ原の戦いで父とともに西軍につき、紀伊の九度山に流された。大坂の陣で豊臣方に加わり、冬の陣では出城「真田丸」で徳川軍を退け、夏の陣では徳川家康の本陣に迫って「日本一の兵」とたたえられたが、討ち死にした。「幸村」の名は江戸時代の軍記物から広まったもので、本人の署名は「信繁」。

のせている言葉:3こ(出典あり 1・伝承・出典未確認 2)更新:2026-10-20

この人の名言の一覧(3こ)
  1. 定めなき浮世に候えば、一日先は知れず候。我々事な…
  2. 関東勢百万と候え、男はひとりもなく候。
  3. 信濃一国などで裏切るような者だと思ったか。

それぞれの名言に、出典(どの本・手紙・演説か)と、確かさのしるし(出典あり伝承・出典未確認実は言っていない)をつけています。外国語の言葉は運営者が原文から訳しました。

定さだめなき浮世うきよに候そうらえば、一日いちにち先さきは知しれず候そうろう。我々われわれ事ことなどは、浮世うきよにあるものとは思おぼし召めし候そうろうまじく候そうろう。

出典:小山田茂誠・之知あての書状(慶長20年3月19日付・真田宝物館所蔵)(1615年)

出典について大坂冬の陣の後、大坂城内から姉の夫・小山田茂誠と甥に送った手紙で、現存する信繁の文書では最後のものとされる(国立国会図書館サーチの資料説明による)。原文の形は文春オンラインの記事(専門の研究者の研究に基づく)で確認した。日付は3月10日とする紹介もある。

意味と背景

現代語訳:定めのないこの世のことですから、一日先のことも分かりません。私のことなど、もうこの世にいる者とは思わないでください。最後の戦いを前に、家族に覚悟を伝えた手紙。勇ましい伝説の裏にある、身内を思う静かな心が伝わる。

座右の銘にするなら・面接での答え方

一日先は分からないからこそ、今日伝えるべきことは今日伝える。この手紙を知ってから、家族や友人への感謝を後回しにしないようにしています。毎日を悔いなく過ごすための言葉です。

2伝承・出典未確認#勇気#挑戦
関東勢かんとうぜい百ひゃく万まんと候そうらえ、男おとこはひとりもなく候そうろう。

出典:『北川覚書』に伝わる大坂夏の陣での言葉(1615年)

出典について大坂夏の陣で兵を引く時、徳川方をあざけって言ったとされる言葉。Wikipediaは『北川覚書』を出典に「といわれている」と紹介しており、本人の言葉と確かめることはできない。

意味と背景

意味:関東(徳川)の軍勢は百万もいるというのに、男と呼べる者は一人もいないではないか。圧倒的な大軍を相手に一歩も引かず、追撃してこない敵を笑い飛ばした、真田らしい気迫を伝える言葉。

座右の銘にするなら・面接での答え方

相手が大勢でも、数に気後れしないことを大切にしています。ディベート大会で強豪校と当たった時も、この言葉を思い出して堂々と主張し、準決勝まで進めました。気持ちで負けないための言葉です。

3伝承・出典未確認#生き方#勇気#仕事
信濃しなの一国いっこくなどで裏切うらぎるような者ものだと思おもったか。

出典:大坂の陣で徳川方の寝返りの誘いを断った時の言葉として伝わる(1615年)

出典について徳川方が信濃一国を与えるという条件で寝返りを誘った時の返事として、Wikipediaが研究書を引いて紹介している。当時の記録での正確な言い回しは確かめられないため「伝承」とした。

意味と背景

意味:信濃一国ほどの褒美で、私が裏切るような男だと思ったのか。どれほどの条件を出されても、一度味方すると決めた豊臣家を見捨てない、という義理と誇りの言葉として伝わる。

座右の銘にするなら・面接での答え方

条件の良い誘いに心が揺れた時、この言葉を思い出しました。お世話になった人との約束を、目先の得で破らない。その方が長い目で見て信頼を得られると思い、信念を貫くようにしています。

人物の説明の参考:https://ja.wikipedia.org/wiki/真田信繁

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