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犬養毅の肖像写真
出典:国立国会図書館「近代日本人の肖像」(https://www.ndl.go.jp/portrait/)

犬養毅の名言

犬養毅|1855〜1932年|日本|政治家(第29代内閣総理大臣)

岡山出身の政治家。号は木堂。新聞記者として西南戦争を取材したのち政界に入り、大正の護憲運動では尾崎行雄とともに「憲政の神様」と呼ばれた。1931年に立憲政友会の総裁として首相になったが、翌1932年5月15日、首相官邸に押し入った海軍の青年将校らに銃撃されて亡くなった(五・一五事件)。この事件で戦前の政党内閣は終わった。

のせている言葉:8こ(出典あり 3・伝承・出典未確認 5)更新:2026-10-20

この人の名言の一覧(8こ)
  1. 話をすれば分かる。
  2. 侵略主義というようなことは、よほど今では遅ればせ…
  3. 政治は一部階級の独占たる迷夢より覚醒し、選挙権拡…
  4. 撃つのはいつでも撃てる。あっちへ行って話を聞こう…
  5. 靴でも脱げや、話を聞こう。
  6. 呼んで来い、いまの若いモン、話して聞かせることが…
  7. 九つのうち三つしか当たらんようじゃ、兵隊の訓練は…
  8. 逃げない、会おう。

それぞれの名言に、出典(どの本・手紙・演説か)と、確かさのしるし(出典あり伝承・出典未確認実は言っていない)をつけています。外国語の言葉は運営者が原文から訳しました。

話はなしをすれば分わかる。

出典:五・一五事件(1932年5月15日)で、首相官邸に押し入った青年将校に銃を向けられた際の言葉。青年将校の一人の供述調書による

出典についてWikiquoteが、五・一五事件の青年将校の供述調書によるものとして載せる。一般には「話せばわかる」の形で知られ、直後に別の将校が「問答無用、撃て」と叫んだとされる。ただしWikipedia「五・一五事件」のとおり、これは最期の言葉ではなく、撃たれた後も犬養は意識があり言葉を残している。

意味と背景

銃を突きつけられても、暴力ではなく話し合いで解決しようとした犬養の姿勢を表す言葉。テロに立ち向かう言論の象徴として語り継がれ、対する「問答無用」は話し合いを拒む暴力の象徴になった。民主政治の大切さを考えさせる一言。

座右の銘にするなら・面接での答え方

対立した時こそ話し合いで解決したい人の座右の銘です。面接では、サークル内で意見が割れた時、双方の話を一人ずつ聞いてから全体で話し合う場をつくり、まとまった経験を話すと、この言葉にふさわしい答えになります。

侵略しんりゃく主義しゅぎというようなことは、よほど今いまでは遅おくればせのことであるから、どこまでも私わたくしは平和へいわということをもって進すすんでいきたい。

出典:ラジオ放送「内憂外患の対策」(NHKラジオ聴取加入者100万突破記念番組、1932年5月1日)

出典についてWikiquoteが放送名と日付つきで載せる。NHKアーカイブスにも「内憂外患の対策」として録音が残る。五・一五事件のわずか2週間前の放送。

意味と背景

満州事変の後、軍部が大陸での勢力拡大を進める中で、侵略主義はもう時代遅れであり、自分はあくまで平和の道を進みたい、とラジオで国民に語った言葉。この半月後に犬養は軍の青年将校に命を奪われた。

座右の銘にするなら・面接での答え方

周りの空気に流されず信念を語る勇気を表す言葉です。面接では、多数派の意見に流されそうな場面でも、根拠を示して自分の考えを伝えた経験を話し、空気より筋を大事にしたいと伝えると、この言葉の重みが生きます。

政治せいじは一部いちぶ階級かいきゅうの独占どくせんたる迷夢めいむより覚醒かくせいし、選挙せんきょ権けん拡張かくちょうをもって国民こくみん全体ぜんたいに国家こっか維持いじの責任せきにんを負おわすべし。

出典:『我党の方針』

出典についてWikiquoteが『我党の方針』からとして載せる(原文の「以て」を「もって」とした)。発表年は確認できなかった。

意味と背景

政治は一部の特権階級のものだという古い思い込みから目を覚まし、選挙権を広げて国民みんなに国を支える責任を持たせるべきだ、という主張。普通選挙を求めた護憲運動の中心にいた犬養の考えがよく表れている。

座右の銘にするなら・面接での答え方

一人ひとりが社会の当事者だと考えたい人の座右の銘になります。面接では、選挙に行くだけでなく地域の会議を傍聴した経験を話し、自分も社会を支える一人だという意識で仕事に向き合いたい、と結ぶとよいでしょう。

4伝承・出典未確認#勇気#言葉#心
撃うつのはいつでも撃うてる。あっちへ行いって話はなしを聞きこう。

出典:五・一五事件で最初の拳銃が不発に終わった直後の言葉として伝わる(1932年)

出典についてWikipediaが孫の随筆に基づいて載せる。孫は母やその場にいた女中の証言として、巷のさまざまな言い伝えのうち自分の記したものだけが正確だと書いている。

意味と背景

撃とうとした相手に向かって、撃つのは後でもできるから、まず話を聞こうと持ちかけた言葉。恐れて逃げるのではなく、相手の言い分に耳を傾けようとした胆力が表れている。犬養はこの後、将校たちを日本間に案内した。

座右の銘にするなら・面接での答え方

相手が感情的な時ほど落ち着いて話を聞きたい人に合います。面接では、接客でお客様に強く怒られた時、まず場所を移して話を最後まで聞いたら落ち着いてもらえた経験を話すと、この言葉らしい具体的な答えになります。

5伝承・出典未確認#言葉#心#勇気
靴くつでも脱ぬげや、話はなしを聞きこう。

出典:五・一五事件で将校たちを日本間に案内し、煙草をすすめた時の言葉として伝わる(1932年)

出典についてWikipedia「犬養毅」「五・一五事件」が孫の記述に基づいて載せる(「まあ靴でもぬげや、話を聞こう」の形も)。直後に後から来た将校が「問答無用、撃て」と叫んで発砲した。

意味と背景

土足で上がりこんできた若い将校たちに、まずは靴を脱いで落ち着いて話そう、と呼びかけた言葉。命を狙う相手を客として扱おうとした、度量の大きさとユーモアが感じられる。話し合いへの最後の誘いでもあった。

座右の銘にするなら・面接での答え方

どんな相手にも礼を尽くして向き合う、という意味で使えます。面接では、意見の対立した相手とも、まず一緒にお茶を飲むなど場をやわらげてから話すようにしている、と具体的な工夫を話すと伝わりやすいです。

6伝承・出典未確認#言葉#教育#勇気
呼よんで来こい、いまの若わかいモン、話はなして聞きかせることがある。

出典:五・一五事件で撃たれた直後、駆けつけた女中のテルに言った言葉として伝わる(1932年)

出典についてWikipedia「犬養毅」「五・一五事件」が孫の記述に基づいて載せる。顔を撃たれて血を流しながらも意識ははっきりしていたという。

意味と背景

自分を撃った若者たちを、もう一度呼んで来い、言って聞かせることがある、と命じた言葉。撃たれてもなお怒りより話し合いを求めた姿勢は、「話せばわかる」以上に犬養の信念を表しているとも言える。

座右の銘にするなら・面接での答え方

最後まで対話をあきらめない姿勢を表す言葉です。面接では、話し合いがこじれても相手と向き合うことを諦めず、時間をおいてもう一度話して関係を修復した経験を話し、対話を諦めない人でありたいと伝えるとよいでしょう。

7伝承・出典未確認#勇気#言葉#心
九ここのつのうち三みっつしか当あたらんようじゃ、兵隊へいたいの訓練くんれんはダメだ。

出典:五・一五事件で撃たれた後、見舞いに来た家族に言った言葉として伝わる(1932年)

出典についてWikipediaが孫の記述に基づいて載せる。医師団は体に入った弾は3発と発表した。犬養はその夜に亡くなった。

意味と背景

九発撃たれて三発しか当たらなかったことを、兵隊の訓練が足りないと皮肉った言葉。死の間際にも冗談めかした言葉を口にする胆力と、軍の規律のゆるみへの痛烈な批判が同時にこめられている。

座右の銘にするなら・面接での答え方

座右の銘には向きませんが、どんな時もユーモアを失わない強さの例として話せます。面接では、ピンチの時ほど周りを和ませる一言を言えるよう心がけている、と話す際の歴史上の例として紹介する程度がよいでしょう。

8伝承・出典未確認#勇気#挑戦#生き方
逃にげない、会あおう。

出典:五・一五事件で、護衛の巡査が暴漢の侵入を告げて逃げるよう促した時の言葉として伝わる(1932年)

出典についてWikipediaが孫の記述に基づいて載せる。Wikipedia「五・一五事件」には「いいや、逃げぬ」という形でも載る。

意味と背景

官邸に武装した集団が押し入ったと知らされても、逃げずに会うと答えた言葉。孫は、逃げ場もなく醜態をさらしたくなかったのだろうと書いている。どんな相手からも逃げずに向き合う覚悟が感じられる。

座右の銘にするなら・面接での答え方

困難から逃げない覚悟を表す短い言葉として座右の銘にできます。面接では、苦手な相手との交渉役を避けずに引き受け、直接会って話したことで解決した経験と結ぶと、この言葉らしい答えになります。

人物の説明の参考:https://ja.wikipedia.org/wiki/犬養毅

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