肖像画:沈俊『王守仁像』(パブリックドメイン)(ファイルのページ)王陽明の名言
王陽明(王守仁)|1472〜1529年|中国(明)|思想家・政治家・軍人
中国・明の時代の儒学者で、名は守仁。陽明は号。役人として宦官を批判したため辺境の龍場に流され、そこで「心即理(心こそが理である)」の悟りを開いた。のちに反乱を次々に鎮めた軍事の才でも知られる。知ることと行うことは一つだとする「知行合一」を説き、その学問は陽明学と呼ばれる。弟子が言行をまとめた『伝習録』は、日本でも中江藤樹や幕末の志士たちに大きな影響を与えた。
のせている言葉:8こ(出典あり 7・伝承・出典未確認 1)更新:2026-10-20
この人の名言の一覧(8こ)
- 知は是れ行の始め、行は是れ知の成るなり。
- 未だ知りて行わざる者有らず。知りて行わざるは、只…
- 人は須らく事上に在りて磨くべし。方めて立ち得住ま…
- 心即ち理なり。天下に又心外の事、心外の理有らんや…
- 人の胸中には各々個の聖人有り。只だ自ら信じ及ばず…
- 志立たざれば、天下に成すべきの事無し。
- 夫れ志は、気の帥なり、人の命なり、木の根なり、水…
- わが心光明なり、また何をか言わん。
それぞれの名言に、出典(どの本・手紙・演説か)と、確かさのしるし(出典あり伝承・出典未確認実は言っていない)をつけています。外国語の言葉は運営者が原文から訳しました。
知は是れ行の始め、行は是れ知の成るなり。
原文(漢文)知是行的主意,行是知的功夫;知是行之始,行是知之成。
出典:『伝習録』巻上(第5条・徐愛の記録)
出典について弟子の徐愛が「知行合一」について質問した時の王陽明の答えとして『伝習録』巻上にある。中国語版Wikisourceの本文で確認した。書き下しと現代語訳は自分でつけた。
意味と背景
現代語訳:知ることは行うことの始まりであり、行うことは知ることの完成である。知ることは行うことの目的、行うことは知ることの実践でもある、と前に置く。知識と実践を分けず、本当に分かったことは必ず行動に表れるという「知行合一」の考え。
座右の銘にするなら・面接での答え方
資格の勉強で知識を詰めこんでも、実際の現場で使えなければ意味がないと感じました。この言葉を知ってから、学んだことはすぐ一つ試してみるようにしています。行ってはじめて本当に分かると思います。
未だ知りて行わざる者有らず。知りて行わざるは、只だ是れ未だ知らざるなり。
原文(漢文)未有知而不行者;知而不行,只是未知。
出典:『伝習録』巻上(第5条)
出典について上と同じく『伝習録』巻上の知行合一の問答。中国語版Wikisourceの本文で確認した。
意味と背景
現代語訳:知っていながら行わない者など、本来いない。知っていて行わないのは、まだ本当には知らないということだ。親孝行すべきと知りながらしない人は、私欲にさえぎられて本当には分かっていない、と王陽明は言う。耳の痛い、しかし核心をつく言葉。
座右の銘にするなら・面接での答え方
「分かっているけどできない」が口癖でしたが、この言葉にどきっとしました。できないのは、まだ本当に分かっていないから。今は、分かったと思ったら小さくても一つ行動に移すことを自分のルールにしています。
人は須らく事上に在りて磨くべし。方めて立ち得住まり、方めて能く静にも亦定まり、動にも亦定まる。
原文(漢文)人須在事上磨,方立得住,方能靜亦定,動亦定。
出典:『伝習録』巻上(第23条)
出典について「静かな時は心が落ち着くが、事に当たると乱れる」という弟子の悩みへの答えとして『伝習録』巻上にある。巻下にも「人須在事上磨錬」と同じ趣旨の言葉がある。中国語版Wikisourceの本文で確認した。
意味と背景
現代語訳:人は実際の物事の中で自分を磨かなければならない。そうしてこそしっかり立つことができ、静かな時も動いている時も、心が落ち着いていられる。静かに座って心を整えるだけでは、いざという時に崩れる。実践の中での鍛錬こそが本物だという「事上磨錬」の教え。
座右の銘にするなら・面接での答え方
本番に弱かった私は、練習を本番だと思って取り組むようにしました。この言葉の通り、実際の場面で鍛えた心だけが、いざという時に揺れません。アルバイトでも、忙しい時間帯こそ成長の機会だと考えています。
心即ち理なり。天下に又心外の事、心外の理有らんや。
原文(漢文)心即理也。天下又有心外之事、心外之理乎?
出典:『伝習録』巻上(第3条)
出典について弟子の徐愛との問答として『伝習録』巻上にある、陽明学の根本の言葉。中国語版Wikisourceの本文で確認した。
意味と背景
現代語訳:心こそが理(物事の正しい道理)である。この世に、心の外にある事柄や、心の外にある道理などあるだろうか。親孝行の道理は親の側にあるのではなく、自分の心にある。正しさは外の知識ではなく、私欲のない自分の心の中に見つかるという考え。
座右の銘にするなら・面接での答え方
正解を外ばかりに探して迷っていた時、この言葉で、自分の心がどう感じるかも大切な判断基準だと気づきました。マニュアルにないことに出会った時は、自分の良心に恥じないかを考えて行動しています。
人の胸中には各々個の聖人有り。只だ自ら信じ及ばずして、都て自ら埋倒す。
原文(漢文)人胸中各有個聖人,只自信不及,都自埋倒了。
出典:『伝習録』巻下
出典について『伝習録』巻下で、王陽明が弟子たちに語った言葉。中国語版Wikisourceの本文で確認した。
意味と背景
現代語訳:人はみな、胸の中に一人の聖人を持っている。ただ自分を信じきれないために、それを自分で埋もれさせてしまうのだ。弟子が「とんでもない」と謙遜すると、「これはあなた自身が持っているもの。謙遜する必要はない」と励ました。誰の中にも立派な力が眠っているという言葉。
座右の銘にするなら・面接での答え方
自分に自信が持てなかった時、この言葉に励まされました。自分の中にも良い力はある、ただ信じきれていないだけ。そう思うと挑戦する勇気がわきます。後輩にも、あなたの中に力があると伝えるようにしています。
志立たざれば、天下に成すべきの事無し。
原文(漢文)志不立,天下無可成之事。雖百工技藝,未有不本於志者。
出典:「教条示龍場諸生」(龍場の学生たちに示した教え)(1508ごろ年)
出典について流された先の龍場で、学びに来た若者たちに「立志・勤学・改過・責善」の四つの心得を示した文の一つ目「立志」の冒頭。中国語版Wikisourceの本文で確認した。
意味と背景
現代語訳:志が立っていなければ、この世で成しとげられることは何もない。職人の技でさえ、志にもとづかないものはない。志のない人は、舵のない舟、くつわのない馬のように、ただ漂い走り回るだけだ、と続く。何をするにもまず志を立てよという教え。
座右の銘にするなら・面接での答え方
なんとなく勉強していた時期は、すぐ気が散って続きませんでした。将来の目標をはっきり決めてから、毎日机に向かえるようになりました。この言葉の通り、志は努力の舵だと実感しています。
夫れ志は、気の帥なり、人の命なり、木の根なり、水の源なり。
原文(漢文)夫志,氣之帥也,人之命也,木之根也,水之源也。源不濬則流息,根不植則木枯,命不續則人死,志不立則氣昏。
出典:「示弟立志説」(『伝習録』巻中に収録)
出典について王陽明が弟に志を立てることの大切さを説いた「示弟立志説」の一節。中国語版Wikisourceの『伝習録』巻中で確認した。
意味と背景
現代語訳:そもそも志とは、気力を率いる大将であり、人の命であり、木の根であり、水の源である。源が浅ければ流れは止まり、根を植えなければ木は枯れ、命が続かなければ人は死に、志が立たなければ気力はくもる。志がすべての力のもとだと、たとえを重ねて説いた。
座右の銘にするなら・面接での答え方
やる気が出ない時、気合いで何とかしようとしていましたが、この言葉で、気力のもとは志だと気づきました。目標を紙に書いて見直すと、不思議と力がわいてきます。根っこを育てることを大切にしています。
わが心光明なり、また何をか言わん。
原文(漢文)此心光明,亦復何言。
出典:臨終の言葉として伝わる(1529年)
出典について死の直前、弟子に遺言を求められて答えた言葉として伝わり、Wikipediaにも「最期の言葉とされる」として載る。ただしWikipediaは具体的な出典を示しておらず、原典を確かめられなかったため「伝承」とした。漢文原文は一般に知られる形による。
意味と背景
現代語訳:私の心は光り輝いている。このうえ何を言い残すことがあろうか。心のままに正しく生き抜いた人だけが言える、すがすがしい最期の言葉。言葉を残すより、生き方そのものが教えだったことを示している。
座右の銘にするなら・面接での答え方
いつか人生を振り返った時、この言葉のように「心に曇りはない」と言える生き方をしたいです。そのために、日々小さなうそをつかないこと、自分に恥じない選択をすることを心がけています。
人物の説明の参考:https://ja.wikipedia.org/wiki/王守仁
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