共有XLINEFacebookThreads
板垣退助の肖像写真
出典:国立国会図書館「近代日本人の肖像」(https://www.ndl.go.jp/portrait/)

板垣退助の名言

板垣退助|1837〜1919年|日本(土佐国=高知県)|政治家(自由民権運動の指導者)

土佐藩士の家に生まれ、戊辰戦争では軍を率いて活躍した。明治政府の参議となったが、征韓論をめぐる対立で政府を去り、1874年に「民撰議院設立建白書」を出して国会を開くよう求めた。これが自由民権運動の始まりとなり、1881年に日本初の本格的な政党・自由党をつくった。岐阜で演説中に襲われた事件で知られる。晩年は、華族の位を子孫に継がせない「一代華族論」を唱えた。

のせている言葉:5こ(出典あり 2・伝承・出典未確認 3)更新:2026-10-20

この人の名言の一覧(5こ)
  1. 自分の手柄によらず、ただ父祖のおかげで、生まれな…
  2. 五千万の同胞が、ことごとく皇室を守る垣根となれば…
  3. 板垣死すとも自由は死せず。
  4. 喧嘩をしても、弱い者をいじめてはならぬ。
  5. 幼いころに蛙捕りをして遊んだ仲だ。

それぞれの名言に、出典(どの本・手紙・演説か)と、確かさのしるし(出典あり伝承・出典未確認実は言っていない)をつけています。外国語の言葉は運営者が原文から訳しました。

自分じぶんの手柄てがらによらず、ただ父祖ふそのおかげで、生うまれながらに栄はえある爵位しゃくいを授さずけられることを、独立どくりつ自尊じそんの心こころを持もつ者ものは恥はじとすべきだ。

出典:板垣退助『一代華族論』(大正元年=1912年、社会政策社)35ページ

出典について板垣の著書『一代華族論』の一節として日本語版Wikiquoteに原文の一部が載る。上の日本語は、Wikiquoteの説明をもとに文の趣旨を自分で訳したもの(原文は途中まで)。

意味と背景

華族の位を子や孫が受け継ぐことに反対し、本人一代限りにすべきだと説いた板垣の考え。自分の力で得たものでない特権を受けるのは恥ずかしいことだ、という自立の精神が表れている。板垣は自分の家の爵位も子に継がせなかった。

座右の銘にするなら・面接での答え方

「親の七光りではなく、自分の力で評価される人になりたい」と語る時に使える。家業を継ぐ立場の人が、それでも自分の実力を磨く決意を語る場面にも向いている。

五千ごせん万まんの同胞どうほうが、ことごとく皇室こうしつを守まもる垣根かきねとなればよいのだ。

出典:板垣退助『一代華族論』(1912年)40ページ

出典について『一代華族論』の一節として日本語版Wikiquoteに原文が載る。

意味と背景

華族という特別な身分を皇室と国民の間に置く必要はなく、国民全員が皇室を支えればよい、という主張。特権階級をなくし、すべての国民を平等に見ようとする、自由民権運動の指導者らしい考え方が表れている。

座右の銘にするなら・面接での答え方

座右の銘には向かないが、「一部の人ではなく全員で支える組織が強い」という考えを語る時の話のたねになる。歴史の授業や、平等について考える作文の引用にも使える。

3伝承・出典未確認#勇気#夢
板垣いたがき死しすとも自由じゆうは死しせず。

出典:明治15年(1882年)4月6日、岐阜で演説を終えた後に襲われた時(岐阜事件)の言葉として伝わる

出典について本当に言ったかどうか見方が分かれる。日本語版Wikipedia「岐阜事件」によれば、事件直後の『大阪朝日新聞』(4月11日)や政府の密偵の報告書にも同じ趣旨の言葉が記録され、板垣自身も回想録『我國憲政の由來』で、刺客をにらみつけて言ったと書いている。ただし文言は記録ごとに違い(自由党の臨時報「板垣ハ死スルトモ自由ハ亡ヒス」、密偵の報告「吾死スルトモ自由ハ死セン」など)、今の形そのままではない。一方、日本語版Wikiquoteは、記者・小室案外堂の演説題目「板垣死ストモ自由ハ亡ビズ」が板垣の言葉として広まったとしている。

意味と背景

自分が殺されても、自由を求める運動は決して終わらない、という意味。自由民権運動を象徴する言葉として、教科書にも載るほど有名になった。言葉どおりに叫んだかはともかく、近い言葉を言ったとする当時の記録が複数あり、運動の合言葉として広まった。

座右の銘にするなら・面接での答え方

「自分がいなくなっても続く仕組みや思いを残したい」という意味で使える。ただし誰の言葉か、どの形で言ったかに諸説あるので、「板垣の言葉として伝わる」と前置きすると誠実である。

4伝承・出典未確認#家族#心#教育
喧嘩けんかをしても、弱よわい者ものをいじめてはならぬ。

出典:板垣が晩年に回想した、母の戒め

出典について日本語版Wikipediaに、板垣が晩年に「母が予を戒めて云うに」と回想した言葉として載る。板垣本人ではなく母の言葉で、回想の原典は今回確かめられなかった。

意味と背景

わんぱくだった少年時代の板垣に、母が言い聞かせた言葉。けんかをするなとは言わないが、弱い者をいじめることだけは許さない、という教えである。のちに差別されていた人々とも分け隔てなく付き合った板垣の生き方の原点とされる。

座右の銘にするなら・面接での答え方

「強い立場に立った時こそ、弱い立場の人を大切にしたい」と語る時に使える。板垣の母の教えとして紹介し、後輩や新人への接し方の話につなげるとよい。

5伝承・出典未確認#友情#心
幼おさないころに蛙かわず捕とりをして遊あそんだ仲なかだ。

出典:差別されていた人々と飲食をともにした時、周りに止められて言ったと伝わる言葉

出典について日本語版Wikipediaに逸話として載るが、記録した原典は今回確かめられなかった。

意味と背景

身分による差別が当たり前だった時代に、差別されていた人々と一緒に食事をしようとして周りに止められた板垣が、「子どもの頃に一緒に蛙を捕って遊んだ仲だ」と言ったと伝わる。人を身分ではなく、一人の友として見る板垣の姿勢を表す逸話である。

座右の銘にするなら・面接での答え方

座右の銘ではなく、人を肩書きで見ない姿勢を語る話のたねになる。「相手の立場ではなく、一人の人として向き合いたい」と語る時、板垣の逸話として紹介するとよい。

人物の説明の参考:https://ja.wikipedia.org/wiki/板垣退助

ほかの日本の偉人の名言

▲上へ