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乃木希典の肖像写真
出典:国立国会図書館「近代日本人の肖像」(https://www.ndl.go.jp/portrait/)

乃木希典の名言

乃木希典|1849〜1912年|日本|陸軍軍人(陸軍大将)・学習院院長

長州藩士の家に生まれた陸軍軍人。日露戦争では第三軍司令官として旅順要塞を攻め落としたが、二人の息子を含む多くの将兵を失い、その責任を生涯背負い続けた。のち学習院の院長として若き日の昭和天皇の教育にあたった。明治天皇の大葬の日に妻・静子とともに自刃し、その死は国内外に大きな反響を呼んだ。漢詩や和歌にもすぐれていた。

のせている言葉:9こ(出典あり 5・伝承・出典未確認 4)更新:2026-10-20

この人の名言の一覧(9こ)
  1. 山川草木転た荒涼、十里風腥し新戦場。征馬前まず人…
  2. 爾霊山は険なれども豈攀じ難からんや。男子功名克艱…
  3. 皇師百万強虜を征す。野戦攻城屍山を作す。愧ず我何…
  4. うつし世を 神さりましし 大君の みあとしたひて…
  5. 私は乃木希典であります。
  6. 諸君、私は諸君の兄弟を多く殺した乃木であります。
  7. 乃木があなた方の子弟を殺したにほかならず、その罪…
  8. よく戦死してくれた。これで世間に申し訳が立つ。
  9. 父子三人が戦争に行くのだから、誰が先に死んでも、…

それぞれの名言に、出典(どの本・手紙・演説か)と、確かさのしるし(出典あり伝承・出典未確認実は言っていない)をつけています。外国語の言葉は運営者が原文から訳しました。

1出典あり#人生#家族#心
山川草木さんせんそうもく転うたた荒涼こうりょう、十里じゅうり風かぜ腥なまぐさし新戦場しんせんじょう。征馬せいば前すすまず人ひと語かたらず、金州城外きんしゅうじょうがい斜陽しゃように立たつ。

原文(漢文)山川草木轉荒涼 十里風腥新戰場 征馬不前人不語 金州城外立斜陽

出典:漢詩「金州城外の作」(日露戦争・南山の戦いの後)(1904年)

出典についてWikiquoteの「情報源の確かなもの」に原文が載る。長男・勝典が南山の戦いで戦死した直後に詠んだとされる。書き下しは一般的な読みに従い、現代語訳は自分で付けた。

意味と背景

訳:山も川も草木もすっかり荒れ果て、あたり十里に血なまぐさい風が吹く、できたばかりの戦場。軍馬は進まず、人も黙りこむ。金州城の外で、私は夕日の中に立ちつくす。勝利の後の静けさと、長男を失った悲しみがにじむ名詩。

座右の銘にするなら・面接での答え方

座右の銘というより、勝ち負けの陰にある犠牲を忘れないための詩です。面接で使うなら、成功した時ほど支えてくれた人や失ったものに目を向けたいと話し、この詩を読んで結果だけを誇らない大切さを学んだ、と伝えるとよいでしょう。

爾霊山にれいさんは険けんなれども豈あに攀よじ難がたからんや。男子だんし功名こうみょう克艱こっかんを期きす。鉄血てっけつ山やまを覆おおいて山形さんけい改あらたまる。万人ばんにん斉ひとしく仰あおぐ爾霊山にれいさん。

原文(漢文)爾霊山険豈難攀 男子功名期克艱 鉄血覆山山形改 万人斉仰爾霊山

出典:漢詩「爾霊山」(旅順・二〇三高地の攻略後)(1904年)

出典についてWikiquoteの「情報源の確かなもの」に原文が載る(原文はWikiquoteの表記どおり新字)。「爾霊山」は二〇三高地に「なんじの霊の山」の意味をこめて乃木が当てた字。次男・保典もここで戦死した。現代語訳は自分で付けた。

意味と背景

訳:爾霊山がどれほど険しくても、登れないことがあろうか。男子が手柄を立てようとするなら、困難に打ち勝つ覚悟がいる。鉄と血が山を覆って形まで変わった。人々はみな、この「なんじらの霊の山」を仰ぐだろう。散った将兵への鎮魂の詩。

座右の銘にするなら・面接での答え方

困難に打ち勝つ覚悟を表す一節「男子功名克艱を期す」は座右の銘にもなります。ただし多くの犠牲を悼む詩なので、面接では「困難から逃げない覚悟」と「支えてくれた人への感謝」を合わせて語ると、詩の重みにふさわしい答えになります。

皇師こうし百ひゃく万まん強虜きょうりょを征せいす。野戦やせん攻城こうじょう屍山しざんを作なす。愧はず我われ何なんの顔かんばせあってか父老ふろうに看まみえん。凱歌がいか今日こんにち幾人いくにんか還かえる。

原文(漢文)皇師百萬征強虜 野戰攻城屍作山 愧我何顏看父老 凱歌今日幾人還

出典:漢詩「凱旋」(日露戦争の講和後)(1905年)

出典についてWikiquoteの「情報源の確かなもの」に原文が載る。現代語訳は自分で付けた。

意味と背景

訳:百万の軍勢で強敵を打ち破ったが、野戦と城攻めで屍が山のように積み重なった。恥ずかしいことに、私はどんな顔をして故郷の父や兄たちに会えばよいのか。勝利の歌を歌って今日帰る者は、いったい何人いるだろう。勝者の誇りより自責が勝る詩。

座右の銘にするなら・面接での答え方

リーダーとして結果の重みを背負う覚悟を考えさせる詩です。面接では、チームで目標を達成した時に、自分の判断で負担をかけた仲間に謝り、感謝を伝えた経験と重ね、責任を引き受けるリーダーを目指していると話すとよいでしょう。

うつし世よを 神かみさりましし 大君おおきみの みあとしたひて 我われはゆくなり

出典:辞世の和歌(1912年9月13日、明治天皇大葬の夜に自刃)

出典についてWikiquoteの「情報源の確かなもの」に辞世として載る。

意味と背景

この世を去って神となられた明治天皇のあとを慕って、私も行きます、という意味の辞世。日露戦争で多くの兵を死なせた責任を感じて死をわびたいと願っていた乃木は、明治天皇の大葬の日に妻とともに自刃した。その死は殉死として大きな論争も呼んだ。

座右の銘にするなら・面接での答え方

殉死の歌なので座右の銘には向きません。面接で取り上げるなら、明治の終わりを象徴する出来事として、歴史の授業や読書で考えたことを話す時の題材にするのが適切です。

私わたくしは乃木のぎ希典まれすけであります。

出典:蓄音機に吹き込んだ肉声(明治末)。のち1930年に「乃木将軍の肉声と其憶出」としてレコード発売

出典についてWikipediaによると、熊本の湯地敬吾の頼みで乃木が「ほう、それはおもしろい」と応じて吹き込んだ録音が残り、レコード・CDになっている。本人の声として残る数少ない言葉。

意味と背景

乃木が録音に残した、ただ名乗るだけの一言。軍神のように語られる人物の、飾らない素顔が伝わる。録音を頼まれて「おもしろい、皆さんと一緒に吹き込もう」と応じたという逸話も、気さくな人柄を物語っている。

座右の銘にするなら・面接での答え方

座右の銘ではありませんが、「まず名乗る」ことの大切さを話す時の例になります。面接の自己紹介で、はっきり名乗ることから信頼が始まると考えている、と話す際の話題として使えます。

6伝承・出典未確認#リーダー#心#生き方
諸君しょくん、私わたくしは諸君しょくんの兄弟きょうだいを多おおく殺ころした乃木のぎであります。

出典:日露戦争後、東郷平八郎らと長野での戦役講演に招かれた時の言葉として伝わる

出典についてWikipediaの逸話欄に載る。乃木は登壇を勧められても上がらず、その場に立ったままこれだけ言って涙を流し、何も言えなくなったという。講演の記録など一次資料は確認できなかった。

意味と背景

凱旋将軍として迎えられながら、自分は戦死した兵たちの家族の前に立つ資格がないと感じていた乃木の心情を表す言葉。手柄を語らず、まず犠牲を詫びたところに、乃木が多くの人に慕われた理由が表れている。

座右の銘にするなら・面接での答え方

失敗や犠牲から目をそらさない姿勢を表す言葉です。面接では、自分のミスでチームに迷惑をかけた時、言い訳をせずにまず謝ってから立て直した経験を話し、責任を引き受ける大切さを学んだと伝えるとよいでしょう。

7伝承・出典未確認#リーダー#心#家族
乃木のぎがあなた方かたの子弟していを殺ころしたにほかならず、その罪つみは割腹かっぷくしてでも謝罪しゃざいすべきですが、今いまはまだ死しすべき時ときではないので、他日たじつ、私わたくしが一命いちめいを国くにに捧ささげるときもあるでしょうから、そのとき乃木のぎが謝罪しゃざいしたものと思おもってください。

出典:日露戦争後、戦死者の遺族を訪ねた際の言葉として伝わる

出典についてWikipediaが2005年の伝記を出典に載せる。乃木は時間があれば遺族を訪ねていたという。一次資料は確認できなかった。

意味と背景

遺族一人ひとりを訪ね、息子や兄弟を死なせたのは自分だと詫びた言葉。いつか命を国に捧げる時が自分の謝罪だと思ってほしい、という内容は、のちの殉死を予感させる。上に立つ者の責任の重さを考えさせる言葉。

座右の銘にするなら・面接での答え方

座右の銘としては重すぎますが、責任ある立場の人の覚悟を考える題材になります。面接では、リーダーを務めた経験を話す際に、結果だけでなく仲間の負担にも責任を持つべきだと考えるようになったきっかけとして触れられます。

8伝承・出典未確認#家族#リーダー#人生
よく戦死せんししてくれた。これで世間せけんに申もうし訳わけが立たつ。

出典:旅順攻囲戦で次男・保典の戦死を知った時の言葉として伝わる(1904年)

出典についてWikipediaが2001年と2005年の伝記を出典に載せる。一次資料は確認できなかった。

意味と背景

多くの部下の命を失わせている司令官として、自分の息子だけが安全な場所にいることを恥じていた乃木の言葉。父としての悲しみを押し殺し、将としての責任を優先した姿として語られてきたが、その厳しさには賛否がある。

座右の銘にするなら・面接での答え方

座右の銘には向かない言葉です。歴史上のリーダーの公と私の葛藤を考える題材として、レポートや面接で「上に立つ人の責任とは何か」を話す時の例に挙げるのが適切です。

9伝承・出典未確認#家族#勇気#人生
父子ふし三さん人にんが戦争せんそうに行いくのだから、誰だれが先さきに死しんでも、棺桶かんおけが三みっつ揃そろうまでは葬式そうしきは出ださないように。

出典:日露戦争の出征前、妻・静子に残した言葉として伝わる(1904年)

出典についてWikipediaが乃木神社の資料(『御神徳』2006年)を出典に載せる。一次資料は確認できなかった。実際に長男・次男は戦死したが乃木は生きて帰った。

意味と背景

自分も二人の息子も戦地へ行く以上、誰が死んでも全員が死ぬ覚悟でいる、という乃木の悲壮な決意を示す言葉。実際には二人の息子が戦死し、乃木だけが生き残ったことが、のちの自責の念につながっていく。

座右の銘にするなら・面接での答え方

座右の銘には向きませんが、覚悟と家族の重みを考えさせる言葉です。面接で使うなら、家族の支えがあって挑戦できていることに感謝していると話す際、歴史の中の家族の姿として触れる程度がよいでしょう。

人物の説明の参考:https://ja.wikipedia.org/wiki/乃木希典

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