肖像画:作者不詳(戦国時代)『武田晴信(信玄)像』(パブリックドメイン)(ファイルのページ)武田信玄の名言
武田信玄|1521〜1573年|日本(甲斐国=山梨県)|戦国大名
甲斐国(今の山梨県)の戦国大名。本名は武田晴信で、信玄は出家後の名。父を追放して家を継ぎ、信濃(長野県)へ勢力を広げ、上杉謙信と川中島で何度も戦った。分国法「甲州法度之次第」を定め、治水工事(信玄堤)でも知られる。徳川家康を三方ヶ原で破った翌年、西へ進む途中で病死した。名言の多くは江戸時代初めに広まった軍学書『甲陽軍鑑』に記されたものである。
のせている言葉:9こ(出典あり 2・伝承・出典未確認 7)更新:2026-10-20
この人の名言の一覧(9こ)
- 喧嘩をした者は、どちらが正しいかに関係なく処罰す…
- もし晴信(信玄)自身の行いや、法度に反することが…
- 人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、仇は敵なり…
- 戦の勝ちは、六分か七分の勝ちで十分の勝ちとする。…
- 戦い方は、四十歳までは勝つように、四十歳からは負…
- 何事にも、工夫と思案と遠慮(先を考えること)を十…
- だいたいは、地のままにしておけば体も骨も健やかで…
- 疾きこと風の如く、徐かなること林の如く、侵し掠め…
- 為せば成る、為さねば成らぬ成る業を、成らぬと捨つ…
それぞれの名言に、出典(どの本・手紙・演説か)と、確かさのしるし(出典あり伝承・出典未確認実は言っていない)をつけています。外国語の言葉は運営者が原文から訳しました。
喧嘩をした者は、どちらが正しいかに関係なく処罰する。
出典:「甲州法度之次第」第十七条(天文16年=1547年制定)。『甲陽軍鑑』品第一に収録
出典について信玄(当時は晴信)が定めた分国法「甲州法度之次第」の条文。原本は残っていないが、写本で伝わる法令で、名言集の伝え話とは性格が違う(返り点は省いた)。続けて、挑発されても我慢した者は罪に問わないと定めている。
意味と背景
いわゆる「喧嘩両成敗」の考えを法にしたもの。理由はどうあれ、争いを起こすこと自体が国を乱すとして厳しく禁じた。ただし我慢した者は罰しないとも書いていて、力で解決しようとすることを防ぎ、家臣同士の争いをなくそうとした信玄の国づくりが分かる。
座右の銘にするなら・面接での答え方
座右の銘には向かないが、チームのルール作りを語る時の話のたねになる。「争いが起きにくい決まりを先に作っておくのが大事だと考え、当番表と役割分担を見える化しました」と使える。
もし晴信(信玄)自身の行いや、法度に反することがあれば、身分の高い低いに関係なく、訴え出てよい。
出典:「甲州法度之次第」第五十五条。『甲陽軍鑑』品第一に収録(1547年)
出典について「甲州法度之次第」の条文で、大名自身も法に従うと定めたもの(原文は冒頭部分のみ・返り点は省いた)。写本で伝わる法令。
意味と背景
戦国大名が、自分自身の行いも法の対象にし、間違っていれば家臣や領民が訴えてよいと定めた珍しい条文。上に立つ者が自分にもルールを当てはめるからこそ、決まりが守られる。信玄の名君としての評価を支える条文の一つである。
座右の銘にするなら・面接での答え方
「リーダーこそ自分で決めたルールを一番守るべきだと考え、遅刻ゼロのルールを作った時は自分が一番早く来ました」と、自分にもルールを当てはめた経験を語る時に、裏付けとして使える。
人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、仇は敵なり。
出典:『甲陽軍鑑』品第三十九(「或人の云ふ信玄公御歌に」として)
出典について『甲陽軍鑑』品第三十九に「人は城人は石垣人は堀、情(なさけ)は味方讎は敵なり」とあるが、その前置きは「或人の云ふ信玄公御歌に(ある人が言うには信玄公の歌に)」で、同書自身が伝え聞きの形で書いている。『甲陽軍鑑』は信玄の死後に成立した軍学書で、信玄の名言は後世に仮託されたものとする見方も強い(日本語版Wikipedia)。
意味と背景
『甲陽軍鑑』では、信玄が甲斐の国内に城を構えず屋敷住まいだった理由として、この歌が挙げられている。国を守るのは城の堅さではなく人の力で、情けをかければ人は味方になり、恨みを買えば敵になる、という意味。人を大切にする組織づくりの言葉として今も人気がある。
座右の銘にするなら・面接での答え方
「設備や制度より、まず人を大事にする職場でありたいと考えています」と、チームづくりの考え方を語る時に使える。『甲陽軍鑑』に「ある人が言うには信玄の歌」と書かれた伝承だ、と添えるとさらに誠実。
戦の勝ちは、六分か七分の勝ちで十分の勝ちとする。八分の勝ちは危うく、九分・十分の勝ちは、味方が大負けする下ごしらえになる。
出典:『甲陽軍鑑』品第三十九(「信玄公被仰は」として)
出典について『甲陽軍鑑』に信玄の言葉として出てくる(原文は返り点を省き、間は中略)。同書は信玄の死後の成立で、本人の言葉と確かめることはできない。よく見かける「勝ちは五分をもって上とし、七分を中とし、十分をもって下とす」という形は、同書のこの箇所には無く、後の時代の言い換えとみられる。
意味と背景
勝ちすぎると、油断やおごりが生まれ、次の大きな負けの原因になるという戒め。ほどほどの勝ちで止めておけば、気を引き締めたまま次に進める。名言集でよく見る「五分を上とす」は、この言葉が言い換えられて広まった形である。
座右の銘にするなら・面接での答え方
「大きな成功の後ほど、反省会を必ず開くようにしています」と、勝って兜の緒を締める習慣と合わせて話すとよい。よく知られる「五分の勝ち」の形は原文と違うと知っていれば、話に深みが出る。
戦い方は、四十歳までは勝つように、四十歳からは負けないように。
出典:『甲陽軍鑑』品第三十九(「信玄公被仰は」として)
出典について『甲陽軍鑑』に信玄の言葉として出てくる。同書は信玄の死後の成立で、本人の言葉と確かめることはできない。
意味と背景
若いうちは失敗を恐れず攻めて勝ちを取りに行き、年を重ねたら大きな負けをしないように守りを固めよ、という教え。年齢によって戦い方を変えるという考えは、仕事やお金の使い方、スポーツの選手生命など、いろいろな場面に当てはまる。
座右の銘にするなら・面接での答え方
二十代なら「今は攻める時期だと考え、新しい仕事に積極的に手を挙げています」、四十代なら「経験を生かして大きな失敗を防ぐ役に回りたい」と、自分の年齢に合わせて使い分けられる便利な言葉。
何事にも、工夫と思案と遠慮(先を考えること)を十倍にもして気をつかえ。
出典:『甲陽軍鑑』品第三十九
出典について『甲陽軍鑑』に信玄の言葉として出てくる(返り点は省いた)。同書は信玄の死後の成立で、本人の言葉と確かめることはできない。ここでの「遠慮」は今の「控えめ」ではなく、「遠くまで先を考えること」の意味。
意味と背景
「遠慮」は、もとは「遠きを慮る=先々まで考える」という意味の言葉。信玄は家臣に、工夫・思案・先読みをふつうの十倍もせよと求めたとされる。相手をあなどらず、準備に準備を重ねる慎重さが、信玄の強さの秘密だったと伝えている。
座右の銘にするなら・面接での答え方
「遠慮はもともと先を考えるという意味だそうです。私も段取りを人の倍考えるようにしています」と、言葉の本来の意味を添えて話すと、教養と慎重さの両方が伝わる。
だいたいは、地のままにしておけば体も骨も健やかである。紅もおしろいも塗らずとも、おのずから風流である。
原文(漢文)大抵還他肌骨好。不塗紅粉自風流
出典:辞世として『甲陽軍鑑』に伝わる言葉。江戸幕府編纂『後鑑』巻之三百四十七が同書から引用(1573年)
出典について『甲陽軍鑑』に、死の直前に目を開いて語った言葉として伝わり、『後鑑』もそれを引いている。辞世として本人が書き残した物は無く、確かめることはできない。漢詩の形をとっている。
意味と背景
死を前に、飾らないありのままの姿こそが美しい、と語った言葉とされる。化粧をしなくても自然な美しさがあるように、人生も無理に飾り立てなくてよい、という境地が読み取れる。豪快な武将のイメージとは違う、静かな言葉である。
座右の銘にするなら・面接での答え方
「背伸びせず、ありのままの自分で勝負したい」と自分らしさを語る時に使える。信玄の辞世として『甲陽軍鑑』に伝わる漢詩の句だ、と添えると教養が伝わる。
疾きこと風の如く、徐かなること林の如く、侵し掠めること火の如く、動かざること山の如し。
原文(漢文)疾如風、徐如林、侵掠如火、不動如山
出典:武田軍の旗(「孫子の旗」)。元は『孫子』軍争篇の句。『甲陽軍鑑』は永禄4年(1561年)から使い始めたと書く
出典について信玄の旗に書かれた句として有名だが、言葉そのものは『孫子』のもの(孫子のページ参照)。旗は山梨県甲州市の雲峰寺などに残るが、いつ作られたかの確かな記録は無い。また「風林火山」という四字の呼び名は昔の文献に無く、古くは「孫子の旗」と呼ばれた。1953年に発表された同じ題の歴史小説が最初ではないかとする研究者もいる(日本語版Wikipedia)。
意味と背景
動く時は風のように速く、待つ時は林のように静かに、攻める時は火のように激しく、守る時は山のように動かない。信玄はこの『孫子』の句を旗に掲げたと伝えられる。信玄の言葉ではなく、信玄が選んで掲げた言葉と考えるのが正確である。
座右の銘にするなら・面接での答え方
「普段は林のように静かに準備し、勝負所では火のように動くのが自分の流儀です」と使える。「元は孫子の言葉で、風林火山という呼び名は近代のもの」と知っていれば、一歩深い答えになる。
為せば成る、為さねば成らぬ成る業を、成らぬと捨つる人のはかなさ。
出典:武田信玄の歌として伝わるが、出典ははっきりしない
出典について信玄の言葉として紹介されるが、『甲陽軍鑑』など確かな出典は確認できなかった。よく知られた「なせば成る なさねば成らぬ 何事も 成らぬは人の なさぬなりけり」は、米沢藩主・上杉鷹山(1751〜1822年)の書状にあるもので、国宝『上杉家文書』に含まれる(日本語版Wikipedia)。信玄の歌とされるものは、それと似ているが意味が少し違う。
意味と背景
やればできることなのに、できないと決めつけてやめてしまう人のなんとはかないことか、という意味。努力しないであきらめる心を戒めている。有名な「なせば成る」の歌は上杉鷹山のものなので、二つを取り違えないよう注意したい。
座右の銘にするなら・面接での答え方
「なせば成る」を座右の銘にするなら、出典が確かな上杉鷹山の歌として紹介するのが安全。信玄の歌として伝わる別の形もある、と知っていると、出典を確かめる人という印象を与えられる。
人物の説明の参考:https://ja.wikipedia.org/wiki/武田信玄
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