肖像画:作者不詳(江戸時代)『上杉謙信像』(パブリックドメイン)(ファイルのページ)上杉謙信の名言
上杉謙信|1530〜1578年|日本(越後国=新潟県)|戦国大名
越後国の戦国大名。もとは長尾景虎といい、関東管領の上杉家を継いで上杉政虎・輝虎と名乗り、出家して謙信と号した。毘沙門天を深く信仰し、「義」を重んじる武将として知られる。武田信玄と川中島で5回にわたって戦い、北条氏とも争った。織田軍を手取川で破った翌年、春日山城で急死した。言葉の多くは江戸時代の軍記や逸話集に伝わる。
のせている言葉:7こ(伝承・出典未確認 7)更新:2026-10-20
この人の名言の一覧(7こ)
- わたしがあなたと争うのは弓矢(戦い)であって、米…
- 天の時・地の利・人の和の三つの徳のうち、第一は人…
- 戦は、勝っても負けても将の恥ではない。ただ時の運…
- 戦の根本は、相手の不意を討つことのほかに、利を得…
- 極楽も地獄も、この先は有明の月のように澄みきって…
- 運は天にあり、鎧は胸にあり、手柄は足にあり。
- まことに晴信(武田信玄)は賢い大将である。
それぞれの名言に、出典(どの本・手紙・演説か)と、確かさのしるし(出典あり伝承・出典未確認実は言っていない)をつけています。外国語の言葉は運営者が原文から訳しました。
わたしがあなたと争うのは弓矢(戦い)であって、米びつ(暮らし)ではない。
出典:湯浅常山『常山紀談』(1739年ごろ)。北条氏の塩止めに苦しむ武田信玄への書状の言葉として
出典について「敵に塩を送る」の元になった話。日本語版Wikiquoteが江戸中期の逸話集『常山紀談』を出典として載せる。『甲陽軍鑑』品第三十三の異本の注記にも、北条氏康の塩止めを聞いた謙信が自筆の書状で「近国が信玄を憎んで塩を止めるのは卑怯で義に反する。謙信は信玄と弓矢で勝負する」と伝え、塩を送らせたという話がある。どちらも後世の書物で、書状の実物は確認されていない。
意味と背景
宿敵の武田信玄の領地が、北条氏らに塩を止められて苦しんでいると聞いた謙信が、「戦は戦場でするもので、民の暮らしを苦しめるのは卑怯だ」として塩を送らせたと伝わる。ここから、困っている相手を助けることを「敵に塩を送る」と言うようになった。
座右の銘にするなら・面接での答え方
「ライバルとは成績で競っても、困った時は助け合うのが自分の流儀です」と、正々堂々とした競争の姿勢を語る時に使える。営業職なら、競合とも業界のために協力した経験と合わせるとよい。
天の時・地の利・人の和の三つの徳のうち、第一は人の和である。
出典:宇佐美勝正『謙信家記』(家老の進言を受け入れた場面)
出典について上杉家に関わる記録『謙信家記』に、謙信が喜んで言った言葉として載る。江戸時代に写された記録で、本人の言葉と確かめることはできない。元になった考えは『孟子』の「天の時は地の利に如かず、地の利は人の和に如かず」。
意味と背景
家老たちの意見が自分の本心と一致したのを喜び、天の時や地の利より、皆の心が一つであることが一番大事だと語った場面とされる。『孟子』の有名な言葉を引いたもので、チームワークの大切さを説く言葉として今も通じる。
座右の銘にするなら・面接での答え方
「どんなに条件がそろっても、チームの心がそろわなければ勝てないと考えています」と、チームワークを重んじる姿勢を語る時に使える。部活や文化祭でまとまりを作った経験と組み合わせるとよい。
戦は、勝っても負けても将の恥ではない。ただ時の運によるものだ。
出典:宇佐美勝正『謙信家記』(武田信玄に敗れて越後に逃れてきた村上義清を慰める場面)
出典について『謙信家記』に、若き日の謙信(景虎)の言葉として載る。江戸時代に写された記録で、本人の言葉と確かめることはできない。
意味と背景
信玄に領地を奪われ、頼ってきた信濃の武将・村上義清に、謙信が「勝ち負けは時の運で、負けたことは恥ではない、気に病まないでほしい」と慰めたとされる。負けた人の誇りを守る、思いやりのある言葉である。
座右の銘にするなら・面接での答え方
「後輩が試合や試験で失敗した時は、結果ではなく、そこまでの努力をまず認めるようにしています」と、人を励ます姿勢を語る時に使える。指導役の面接で特に生きる。
戦の根本は、相手の不意を討つことのほかに、利を得る道はない。
出典:宇佐美勝正『謙信家記』(対陣中、家老たちに夜襲を提案する場面)
出典について『謙信家記』に謙信の言葉として載る。直前に「待ち構える城へ攻め寄せて利を取ることは十に一つもない」とある。本人の言葉と確かめることはできない。
意味と背景
準備を整えて待ち構えている相手に正面からぶつかっても、勝てることはほとんどない。相手が予想していない時と場所を突いてこそ勝機がある、という考え。『孫子』の「其の無備を攻め、其の不意に出づ」と同じ発想である。
座右の銘にするなら・面接での答え方
「競合が多い分野では、相手がまだ手をつけていない所を探すようにしています」と、すき間を狙う発想を語る時に使える。孫子の言葉と並べて話すと、兵法に通じる人という印象になる。
極楽も地獄も、この先は有明の月のように澄みきっていて、心にかかる雲はない。
出典:辞世として『謙信家記』(「輝虎公末期の云捨に曰」)、岡谷繁実『名将言行録』などに伝わる(1578年)
出典について『謙信家記』に「輝虎公末期の云捨」として、漢詩の一部「人間四十九年是一杯之酒」(続きは文字が切れて読めないと注記)と和歌が載る。日本語版Wikiquoteは明治期の『名将言行録』を出典に和歌を載せる。よく知られる漢詩「四十九年一睡の夢、一期の栄華一盃の酒」は書物によって形が違う。謙信は急死したとされ、辞世をどう残したかははっきりしない。
意味と背景
死んだ後に極楽へ行こうと地獄へ行こうと、心は夜明けの月のように晴れ晴れとしていて、迷いの雲は一つもない、という意味。四十九年の人生を一杯の酒にたとえた漢詩とともに伝わり、信仰に生きた謙信らしい潔い心境を表している。
座右の銘にするなら・面接での答え方
座右の銘には向かないが、「やり切った後に、心にかかる雲がないと言える働き方をしたい」と、悔いを残さない姿勢を語る時に引用できる。辞世として伝わる歌だと添えるとよい。
運は天にあり、鎧は胸にあり、手柄は足にあり。
出典:謙信の言葉として伝わるが、出典ははっきりしない
出典について謙信の言葉として広く知られ、日本語版Wikiquoteにも載るが、出典は示されていない。日本語版Wikisource(『謙信家記』『甲陽軍鑑』など収録)を「鎧は胸」で全文検索しても見つからなかった。
意味と背景
勝ち負けの運は天が決めること。身を守る鎧は自分の胸にある覚悟であり、手柄は足を使って自ら前に出ることで得られる、という意味とされる。運を言い訳にせず、自分の心と行動で道を開けという教えとして受け取られている。
座右の銘にするなら・面接での答え方
使うなら「謙信の言葉として伝わる言葉で」と前置きし、「営業は足で稼ぐものと考え、一日十件の訪問を続けました」など、足を使って成果を上げた話と組み合わせると、言葉が具体的に生きる。
まことに晴信(武田信玄)は賢い大将である。
出典:宇佐美勝正『謙信家記』(村上義清との語らいの場面)
出典について『謙信家記』に、若き日の謙信(景虎)の言葉として載る。本人の言葉と確かめることはできない。
意味と背景
生涯のライバルとなる武田信玄の力量を、謙信が素直に認めたとされる言葉。相手を見くびらず、強さを正しく評価するからこそ、本気で向き合える。好敵手を認め合う二人の関係は、のちに「敵に塩を送る」の話にもつながっていく。
座右の銘にするなら・面接での答え方
「ライバルのすごいところは素直に認めて、まねできる所は学ぶようにしています」と、競争相手への向き合い方を語る時に使える。謙信と信玄の関係を添えると話が膨らむ。
人物の説明の参考:https://ja.wikipedia.org/wiki/上杉謙信
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