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肖像画:作者不詳(平安時代)『釈迦如来像(赤釈迦)』(パブリックドメイン)(ファイルのページ ) ブッダの名言 釈迦(ゴータマ・ブッダ)|前5世紀ごろ(諸説あり)〜前5〜前4世紀ごろ(諸説あり)年|古代インド(現在のネパール南部生まれ)|仏教の開祖
シャカ族の王子ゴータマ・シッダッタとして生まれ、老いや病や死に苦しむ人々を見て29歳で城を出た。厳しい修行の末、35歳ごろ菩提樹の下で悟りを開き「ブッダ(目覚めた人)」と呼ばれた。以後80歳で亡くなるまでインド各地を歩いて教えを説いた。その言葉は弟子たちによって語り継がれ、『法句経(ダンマパダ)』などの経典にまとめられた。
のせている言葉:19こ(出典あり 16・実は言っていない 3)更新:2026-10-20
この人の名言の一覧(19こ) 物事は心に導かれ、心を主とし、心によって作られる… この世では、恨みに恨みで報いても、決して恨みは消… 意味のない言葉を千語並べるより、聞いて心が安らぐ… 戦場で百万の敵に勝つよりも、ただ一つの自己に打ち… 自分こそが自分の主である。ほかに誰が主であろうか… 悪をなすのも自分、汚れるのも自分。悪をなさないの… 人として生まれることは難しい。死すべき者が生きて… すべての悪をなさず、善いことを行い、自分の心を清… 恨みを抱く人々の中にあって、恨むことなく、私たち… 健康は最高の利益、満足は最高の財産、信頼は最高の… 怒らないことで怒りに打ち勝ち、善によって悪に打ち… ただ非難されるだけの人、ただ褒められるだけの人は… 努力は、あなた自身がしなければならない。如来(仏… 「すべての作られたものは移ろいゆく」と智慧によっ… アーナンダよ、自分を島(灯明)とし、自分をよりど… さあ、修行者たちよ、お前たちに告げよう。すべての… すべてを理解することは、すべてを許すことである。 どこで読んだものでも、誰が言ったものでも、たとえ… 幸せへの道はない。幸せこそが道なのだ。
それぞれの名言に、出典 (どの本・手紙・演説か)と、確かさのしるし(出典あり 伝承・出典未確認 実は言っていない )をつけています。外国語の言葉は運営者が原文から訳しました。
物事は心に導かれ、心を主とし、心によって作られる。清らかな心で話し、行えば、影かげ が体から離はな れないように、幸せがその人についていく。 原文(原文) Manopubbaṅgamā dhammā, manoseṭṭhā manomayā, manasā ce pasannena bhāsati vā karoti vā, tato naṁ sukham-anveti chāyā va anapāyinī.
出典:『法句経(ダンマパダ)』第1章「対の章」第2偈(第1偈と対)
出典について パーリ語の仏典『法句経』の冒頭の詩。ブッダの言葉として経典に伝わる(パーリ語原文はAncient Buddhist Textsの校訂版)。第1偈は「汚れた心で話し行えば、車輪が牛の足についていくように苦しみがついていく」。
意味と背景 私たちの経験するすべてのことは、心が先に立って生まれる。だから心が汚れていれば苦しみが、清らかであれば幸せが、影のようについてくる、という教え。『法句経』の最初に置かれ、仏教が心のあり方を何より大切にすることを示している。
座右の銘にするなら・面接での答え方 イライラしている日は何をやってもうまくいかず、落ち着いている日は人にも優しくなれると気づきました。この言葉の通り、すべては心から始まると思います。仕事の前には深呼吸して、心を整えてから取りかかるようにしています。
この世では、恨うら みに恨うら みで報いても、決して恨うら みは消えない。恨うら みを捨てることで、恨うら みは消える。これは永遠の真理である。 原文(原文) Na hi verena verāni sammantīdha kudācanaṁ, averena ca sammanti, esa dhammo sanantano.
出典:『法句経(ダンマパダ)』第1章「対の章」第5偈
出典について パーリ語の仏典『法句経』の詩(パーリ語原文はAncient Buddhist Textsの校訂版)。1951年のサンフランシスコ講和会議で、セイロン(スリランカ)代表がこの言葉を引いて日本への賠償請求を放棄したことでも知られる。
意味と背景 やられたらやり返すをくり返しても、恨みは次の恨みを生むだけで終わらない。恨みの連鎖を止めるには、どちらかが恨みを手放すしかない、という教え。個人のけんかから国どうしの争いまで、時代を超えて通じる真理として語り継がれている。
座右の銘にするなら・面接での答え方 友人とけんかした時、言い返したくなる気持ちをこらえて先に謝ったら、すぐに仲直りできました。この言葉の通り、恨みは手放すことでしか消えないと思います。仕事でも、対立を引きずらず関係を立て直せる人でありたいです。
意味のない言葉を千語並べるより、聞いて心が安らぐ意味のある一語の方がまさる。 原文(原文) Sahassam-api ce vācā anatthapadasaṁhitā, ekaṁ atthapadaṁ seyyo yaṁ sutvā upasammati.
出典:『法句経(ダンマパダ)』第8章「千の章」第100偈
出典について パーリ語の仏典『法句経』の詩(パーリ語原文はAncient Buddhist Textsの校訂版)。
意味と背景 たくさんしゃべれば伝わるわけではない。中身のない言葉を千並べるより、聞いた人の心を静め、救う一言の方がずっと価値がある、という教え。言葉の量ではなく質を大切にせよと、話す人に向けて語りかけている。
座右の銘にするなら・面接での答え方 落ち込んでいた時、先生のたった一言「よく頑張っているね」に救われました。言葉の価値は長さではないと実感しています。仕事でも、たくさん話すより、相手の心に届く一言を選べる人でありたいと考えています。
戦場で百万の敵に勝つよりも、ただ一つの自己に打ち勝つ者こそ、最上の勝利者である。 原文(原文) Yo sahassaṁ sahassena saṅgāme mānuse jine, ekañ-ca jeyya attānaṁ, sa ve saṅgāmajuttamo.
出典:『法句経(ダンマパダ)』第8章「千の章」第103偈
出典について パーリ語の仏典『法句経』の詩(パーリ語原文はAncient Buddhist Textsの校訂版)。原文の「千の千倍」を「百万」と訳した。
意味と背景 どれほど多くの敵を倒しても、それより難しく尊いのは、自分自身の怠け心や怒りや欲に打ち勝つことだ、という意味。外の敵に勝つことより、自分を制することこそ本当の勝利だという、仏教の考えをよく表している。
座右の銘にするなら・面接での答え方 ライバルに勝つことより、「もう少しだけ」と練習を続けた日の自分に勝つ方が大切だと、部活で学びました。この言葉の通り、一番の相手は自分自身です。仕事でも、楽な方に流れそうな自分に打ち勝ち続けたいです。
自分こそが自分の主である。ほかに誰だれ が主であろうか。自分をよく整えた人は、得がたい主を得る。 原文(原文) Attā hi attano nātho, ko hi nātho paro siyā? Attanā va sudantena nāthaṁ labhati dullabhaṁ.
出典:『法句経(ダンマパダ)』第12章「自己の章」第160偈
出典について パーリ語の仏典『法句経』の詩(パーリ語原文はAncient Buddhist Textsの校訂版)。
意味と背景 自分を本当に頼りにできるのは、結局は自分自身だけだという意味。他人に頼りきるのではなく、自分をよく鍛え整えることで、人は何より頼もしい「自分という主」を手に入れられる。自立と自己修養の大切さを説いた言葉。
座右の銘にするなら・面接での答え方 受験の時、最後に頼れるのは自分の積み重ねだけだと感じました。この言葉の通り、自分を整えることが一番の支えになります。仕事でも人に頼りきらず、まず自分を鍛え、頼られる人になれるよう努めたいと考えています。
悪をなすのも自分、汚よご れるのも自分。悪をなさないのも自分、清まるのも自分。清いも汚よご れも自分しだいで、他人が他人を清めることはできない。 原文(原文) Attanā va kataṁ pāpaṁ, attanā saṅkilissati, attanā akataṁ pāpaṁ, attanā va visujjhati, suddhī asuddhī paccattaṁ, nāñño aññaṁ visodhaye.
出典:『法句経(ダンマパダ)』第12章「自己の章」第165偈
出典について パーリ語の仏典『法句経』の詩(パーリ語原文はAncient Buddhist Textsの校訂版)。
意味と背景 自分の心が清いか汚れているかは、自分の行いが決めることで、他人が代わりに清めてくれることはない、という教え。誰かのせいにしたり、誰かに救ってもらうのを待つのではなく、自分の行いに責任を持てと説いている。
座右の銘にするなら・面接での答え方 失敗を人のせいにしたくなる時、この言葉を思い出します。結局、自分を良くするのも悪くするのも自分の行い次第です。仕事でも自分の行動に責任を持ち、言い訳せずに改善していける人でありたいと思っています。
人として生まれることは難しい。死すべき者が生きていることも難しい。正しい教えを聞くことも難しい。仏が世に現れることも難しい。 原文(原文) Kiccho manussapaṭilābho, kicchaṁ maccāna' jīvitaṁ, kicchaṁ Saddhammasavanaṁ, kiccho Buddhānam-uppādo.
出典:『法句経(ダンマパダ)』第14章「ブッダの章」第182偈
出典について パーリ語の仏典『法句経』の詩(パーリ語原文はAncient Buddhist Textsの校訂版)。日本の「人身受け難し」という言葉のもとになった教え。
意味と背景 人間として生まれ、今こうして生きていることは、めったにない奇跡のようなことだ、という意味。だからこそ、その命を無駄にせず、大切な教えに耳を傾けて生きよと説いている。当たり前と思っている毎日のありがたさに気づかせてくれる言葉。
座右の銘にするなら・面接での答え方 家族が大きな病気をした時、今生きていることは当たり前ではないと痛感しました。この言葉を胸に、毎日を大切に過ごしたいと思っています。仕事でも、与えられた機会に感謝し、一日一日を丁寧に積み重ねていきたいです。
すべての悪をなさず、善いことを行い、自分の心を清めること。これが諸々もろもろ の仏の教えである。 原文(原文) Sabbapāpassa akaraṇaṁ, kusalassa upasampadā, sacittapariyodapanaṁ - etaṁ Buddhāna' sāsanaṁ.
出典:『法句経(ダンマパダ)』第14章「ブッダの章」第183偈
出典について パーリ語の仏典『法句経』の詩(パーリ語原文はAncient Buddhist Textsの校訂版)。英語版Wikiquoteにも英訳がある。漢訳の「諸悪莫作 衆善奉行 自浄其意 是諸仏教」(七仏通戒偈)として、日本でも古くから知られる。
意味と背景 過去のすべての仏が共通して説いた教えは、悪いことをしない、善いことをする、心を清らかに保つ、という三つだけだという意味。とても単純だが、毎日実行し続けるのは難しい。仏教の教えのすべてが、この短い詩に込められている。
座右の銘にするなら・面接での答え方 悪いことをしない、良いことをする、心を清く保つ。当たり前のことほど続けるのが難しいと感じます。この言葉を毎朝思い出し、小さな善い行いを一つでも積み重ねるようにしています。仕事でも誠実さを貫きたいです。
恨うら みを抱いだ く人々ひとびと の中にあって、恨うら むことなく、私たちは実に楽しく生きよう。原文(原文) Susukhaṁ vata jīvāma verinesu averino, verinesu manussesu viharāma averino.
出典:『法句経(ダンマパダ)』第15章「楽しみの章」第197偈
出典について パーリ語の仏典『法句経』の詩(パーリ語原文はAncient Buddhist Textsの校訂版)。
意味と背景 周りに自分を恨む人や、いがみ合う人がいても、自分は恨みの心を持たずに穏やかに生きていこう、という意味。他人の態度は変えられなくても、自分の心は自分で選べる。恨みに巻き込まれないことが、本当の楽しさにつながると教えている。
座右の銘にするなら・面接での答え方 クラスで悪口が飛び交っていた時も、自分は加わらず、穏やかに過ごすようにしていました。周りに流されず心を保つと、自分も楽になります。職場でも、ぎすぎすした空気に巻き込まれず、明るく働ける人でありたいです。
健康は最高の利益、満足は最高の財産、信頼しんらい は最高の親族、心の安らぎ(涅槃ねはん )は最高の幸せである。 原文(原文) Ārogyaparamā lābhā, santuṭṭhi paramaṁ dhanaṁ, vissāsā paramā ñāti, Nibbānaṁ paramaṁ sukhaṁ.
出典:『法句経(ダンマパダ)』第15章「楽しみの章」第204偈
出典について パーリ語の仏典『法句経』の詩(パーリ語原文はAncient Buddhist Textsの校訂版)。
意味と背景 お金や物より、体が健やかであること、今あるもので満足できること、信じ合える人がいること、心が安らかであることこそ、人生の本当の宝だという意味。「足るを知る」心や人との信頼の大切さを、四つの「最高」で示している。
座右の銘にするなら・面接での答え方 けがで入院した時、健康こそ一番の宝だと実感しました。今あるものに満足し、信頼できる仲間を大切にすることも、この言葉から学んでいます。体と心を健やかに保ち、長く元気に働ける社会人になりたいと思っています。
怒おこ らないことで怒いか りに打ち勝ち、善によって悪に打ち勝て。分け与あた えることでけちに打ち勝ち、真実によって嘘うそ つきに打ち勝て。原文(原文) Akkodhena jine kodhaṁ, asādhuṁ sādhunā jine, jine kadariyaṁ dānena, saccenālikavādinaṁ.
出典:『法句経(ダンマパダ)』第17章「怒りの章」第223偈
出典について パーリ語の仏典『法句経』の詩(パーリ語原文はAncient Buddhist Textsの校訂版)。英語版Wikiquoteにも英訳がある。
意味と背景 怒りに怒りで、悪に悪で返せば、争いは大きくなるばかり。相手と反対のもの、つまり穏やかさ、善、気前のよさ、正直さで向き合うことこそ、本当に打ち勝つ方法だという教え。力ではなく心で勝つ道を示している。
座右の銘にするなら・面接での答え方 接客のアルバイトで怒ったお客様に、落ち着いて丁寧に対応したら、最後は笑顔で帰ってくださいました。怒りには穏やかさで向き合うのが一番だと実感しています。仕事でも、感情的にならず誠実に対応できる人でありたいです。
ただ非難されるだけの人、ただ褒ほ められるだけの人は、過去にもいなかったし、未来にもいないし、今もいない。 原文(原文) Na cāhu na ca bhavissati, na cetarahi vijjati ekantaṁ nindito poso, ekantaṁ vā pasaṁsito.
出典:『法句経(ダンマパダ)』第17章「怒りの章」第228偈
出典について パーリ語の仏典『法句経』の詩(パーリ語原文はAncient Buddhist Textsの校訂版)。直前の第227偈では「黙っていても、多く話しても、少し話しても非難される。この世に非難されない人はいない」と説く。
意味と背景 どんなに立派な人でも必ず誰かに悪く言われ、どんなにひどい人でも誰かに褒められる。だから人の評判に一喜一憂する必要はない、という教え。非難されて落ち込んだ時、心を軽くしてくれる言葉である。
座右の銘にするなら・面接での答え方 一生懸命やっても批判されて落ち込んだ時、この言葉で「誰でも何か言われるものだ」と思えました。人の評価に振り回されすぎず、自分が正しいと思うことを続けたいです。仕事でも、批判は参考にしつつ前を向く人でありたいです。
努力は、あなた自身がしなければならない。如来にょらい (仏)は道を説くだけである。 原文(原文) Tumhehi kiccaṁ ātappaṁ akkhātāro Tathāgatā, paṭipannā pamokkhanti jhāyino Mārabandhanā.
出典:『法句経(ダンマパダ)』第20章「道の章」第276偈
出典について パーリ語の仏典『法句経』の詩(パーリ語原文はAncient Buddhist Textsの校訂版)。続きは「道を歩み、瞑想する者は、悪魔の束縛から逃れる」。
意味と背景 仏は進むべき道を示してくれるが、その道を実際に歩くのは自分自身だ、という意味。どんなに良い先生や教えがあっても、自分が努力しなければ何も変わらない。学ぶ人の主体性を強く求める、厳しくも温かい言葉である。
座右の銘にするなら・面接での答え方 塾の先生に「教えられるのは道だけ、歩くのは君だ」と言われ、この言葉を知りました。良い教材があっても、自分で解かなければ力はつきません。仕事でも、教わったことを自分で実践し、身につけていく人でありたいです。
「すべての作られたものは移ろいゆく」と智慧ちえ によって見る時、人は苦しみから離はな れる。これが清らかになる道である。 原文(原文) Sabbe saṅkhārā aniccā ti, yadā paññāya passati, atha nibbindatī dukkhe – esa maggo visuddhiyā.
出典:『法句経(ダンマパダ)』第20章「道の章」第277偈
出典について パーリ語の仏典『法句経』の詩(パーリ語原文はAncient Buddhist Textsの校訂版)。「諸行無常」として日本でもよく知られる教え。
意味と背景 形あるもの、作られたものはすべて変わり、いつかは消えていく。そのことを本当に理解すれば、物や地位に執着して苦しむことがなくなる、という教え。『平家物語』の冒頭にも響く「諸行無常」の考えのもとになった詩の一つ。
座右の銘にするなら・面接での答え方 部活の引退で、楽しい時間にも終わりがあると知りました。この言葉の通り、すべては移ろうからこそ、今を大切にしたいと思えます。仕事でも変化を恐れず、今できることに全力を注げる人でありたいと考えています。
アーナンダよ、自分を島(灯明)とし、自分をよりどころとし、他をよりどころとせず、法を島とし、法をよりどころとし、他をよりどころとせずに生きよ。 原文(原文) Tasmātih' Ānanda attadīpā viharatha attasaraṇā anaññasaraṇā, Dhammadīpā Dhammasaraṇā anaññasaraṇā.
出典:『大般涅槃経(マハーパリニッバーナ・スッタ)』(長部第16経)
出典について ブッダの最後の旅を伝えるパーリ語の経典の一節(Ancient Buddhist Textsの校訂版)。「dīpa」には「島」と「灯明」の両方の意味があり、日本では「自灯明・法灯明」として知られる。
意味と背景 80歳になり、重い病に倒れたブッダが、自分の亡き後を心配する弟子アーナンダに語った言葉。師がいなくなっても、他人に頼らず、自分自身と正しい教えを支えにして生きよ、という教え。弟子の自立を願う、師の最後の思いやりが込められている。
座右の銘にするなら・面接での答え方 尊敬する先輩が卒業した時、この言葉で「これからは自分が考えて動く番だ」と思えました。人に頼りすぎず、学んだことを支えに自分で判断することを大切にしています。仕事でも、自立して動ける人でありたいです。
さあ、修行者たちよ、お前たちに告げよう。すべての作られたものは滅ほろ びゆく。怠おこた ることなく努めよ。 原文(原文) Handa dāni bhikkhave āmantayāmi vo vayadhammā saṅkhārā, appamādena sampādethā!
出典:『大般涅槃経(マハーパリニッバーナ・スッタ)』(長部第16経)ブッダ最期の言葉
出典について パーリ語の経典に「これが如来の最後の言葉であった」と記されている一節(Ancient Buddhist Textsの校訂版)。英語版Wikiquoteにも英訳がある。
意味と背景 すべてのものは移り変わり、いつか滅びる。だからこそ、一瞬一瞬を怠けずに努力せよ、という意味。死を前にしたブッダが、悲しむ弟子たちに最後に残した言葉で、無常を嘆くのではなく、だからこそ今を真剣に生きよと励ましている。
座右の銘にするなら・面接での答え方 時間は限られているからこそ、毎日を怠けずに過ごしたいと思わせてくれる言葉です。受験期、この言葉を机に貼って勉強を続けました。仕事でも、一日一日を大切に、こつこつと努力を積み重ねる人でありたいと考えています。
すべてを理解することは、すべてを許すことである。 原文(英語) To understand everything is to forgive everything.
出典:仏典になし(英語版Wikiquote「Misattributed」)(1910年)
本当の出どころ ブッダの言葉として出回るが、英語版Wikiquoteによれば、一般にはフランスのことわざ(Tout comprendre, c'est tout pardonner)として知られるもので、1910年のアメリカの農業雑誌に出典なしでブッダの言葉として載ったのが早い例。仏典には見つからない。
意味と背景 相手の事情や気持ちをすべて理解できれば、その人を責める気持ちはなくなり、許せるようになる、という意味。思いやりの深い言葉なのでブッダらしく聞こえるが、実際にはヨーロッパのことわざである。
この言葉の使い方 相手の事情を知って怒りが消えた経験から、共感できる言葉です。ただ作者はブッダではなく、フランスのことわざとされます。面接では、相手を理解しようとする姿勢を語りつつ、言葉の出どころも正しく伝えると誠実です。
どこで読んだものでも、誰だれ が言ったものでも、たとえ私が言ったことでも、自分の理性と常識に合わないものは信じるな。 原文(英語) Believe nothing, no matter where you read it, or who said it, no matter if I have said it, unless it agrees with your own reason and your own common sense.
出典:『カーラーマ経』の誤った訳から広まった言葉(英語版Wikiquote「Misattributed」)
本当の出どころ ブッダの言葉として広く出回るが、英語版Wikiquoteによれば『カーラーマ経』の不正確な訳。実際の経典では、伝聞や経典、理屈や推論だけで判断せず、その教えが苦しみを生むか善をもたらすかを自分で確かめて判断せよ、と説かれており、「自分の理性と常識」だけを基準にせよとは言っていない。
意味と背景 権威をうのみにせず自分で確かめよ、という趣旨は経典にもあるが、この言い回しは原文をかなり書きかえたもの。本物の経典は、理屈だけに頼ることも戒めており、言葉が広まる間に意味が少しずれてしまった例である。
この言葉の使い方 うのみにせず確かめる大切さを語るなら、この言葉自体が「書きかえられた名言」だという話が説得力を持ちます。面接では「原典を読んだら意味が少し違っていた」と話し、一次情報を確認する習慣を伝えるとよいでしょう。
幸せへの道はない。幸せこそが道なのだ。 原文(英語) There is no way to happiness; happiness is the way.
出典:仏典になし(英語版Wikiquote「Misattributed」)
本当の出どころ ブッダの言葉としてSNSなどで広まっているが、英語版Wikiquoteによれば仏典には見つからない。もとは20世紀のアメリカの平和運動で使われた「平和への道はない。平和こそが道だ」という言葉で、それが「幸せ」に言いかえられたと考えられている。
意味と背景 幸せはどこか遠くのゴールではなく、毎日を幸せに歩むこと自体が大切だ、という意味。仏教の考えにも通じるように聞こえるため広まったが、ブッダの言葉ではなく、20世紀の言葉が言いかえられたものである。
この言葉の使い方 目標を達成した時だけでなく、その途中の毎日を楽しみたいという考えに共感します。ただブッダの言葉ではないので、紹介する時は作者不明として伝えます。仕事でも、日々の過程を楽しめる人でありたいと思っています。
人物の説明の参考:https://ja.wikipedia.org/wiki/釈迦
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