イラスト(AIで作成)・本人の写真ではありません一茶の名言
小林一茶|1763〜1828年|日本(江戸時代後期)|俳人
信濃国柏原(長野県信濃町)の農家に生まれ、3歳で母を亡くし、継母との不和から15歳で江戸に奉公に出た。俳諧の道に進み、各地を旅しながら句を詠んだ。50歳で故郷に戻って結婚したが、子どもたちを次々に失うなど不幸が続いた。雀・蛙・蝿など小さな生き物や子どもを、やさしさとユーモアをこめて詠んだ句が多く、約2万句を残した。
のせている言葉:12こ(出典あり 11・実は言っていない 1)更新:2026-10-20
この人の名言の一覧(12こ)
- 痩蛙まけるな一茶これにあり
- 我と来て遊べや親のない雀
- やれ打つな蝿が手を摺り足をする
- 雀の子そこのけそこのけ御馬が通る
- 目出度さもちう位なりおらが春
- 露の世は露の世ながらさりながら
- これがまあつひの栖か雪五尺
- 名月を取ってくれろと泣く子かな
- 雪とけて村いっぱいの子供かな
- ともかくもあなた任せのとしの暮
- うつくしや障子の穴の天の川
- 信濃では月と仏とおらがそば
それぞれの名言に、出典(どの本・手紙・演説か)と、確かさのしるし(出典あり伝承・出典未確認実は言っていない)をつけています。外国語の言葉は運営者が原文から訳しました。
痩蛙まけるな一茶これにあり
出典:『七番日記』
出典について一茶の句日記『七番日記』に載る句。Wikiquoteで確認した。
意味と背景
意味:やせた蛙よ、負けるな。この一茶がついているぞ。蛙が雌を争って戦う「蛙合戦」を見て、弱そうなやせ蛙を応援した句。小さく弱いものに自分を重ね、味方になろうとする一茶らしいやさしさとユーモアがある。
座右の銘にするなら・面接での答え方
後輩が試合で強い相手に挑む時、この句のように「負けるな、応援してるぞ」と声をかけるようにしています。弱い立場の人の味方でいたい。そんな思いを、肩の力を抜いて表せる一茶の句が大好きです。
我と来て遊べや親のない雀
出典:『おらが春』(1819年)
出典について一茶の句文集『おらが春』に載る句。Wikiquoteで確認した。幼いころの自分を詠んだ句として前書きがついている。
意味と背景
意味:親のいない雀の子よ、こっちへ来て私と一緒に遊ぼう。3歳で母を亡くし、さびしい子ども時代を送った一茶が、ひとりぼっちの雀に昔の自分を重ねて呼びかけた句。孤独を知る人のやさしさがにじむ。
座右の銘にするなら・面接での答え方
転校したばかりで一人でいる子に、自分から声をかけるようにしています。自分も転校で心細かった経験があるからです。この句は、さびしさを知っている人こそ人にやさしくできると教えてくれます。
やれ打つな蝿が手を摺り足をする
出典:『八番日記』
出典について一茶の句日記『八番日記』に載る句。Wikiquoteで確認した。
意味と背景
意味:おい、たたくな。蝿が手をすり足をすり合わせて、命ごいをしているではないか。蝿が前足をこする仕草を「拝んでいる」と見立てた。嫌われ者の小さな虫にも命があると見る、一茶の生き物へのまなざしが表れている。
座右の銘にするなら・面接での答え方
小さな命にも目を向けられる人でありたいと思い、この句を選びました。弱い立場の人の声にも耳を傾ける。接客の仕事でも、言葉にしにくいお客様の気持ちに気づけるよう心がけています。
雀の子そこのけそこのけ御馬が通る
出典:『おらが春』(1819年)
出典について『おらが春』に載る句。Wikiquoteで確認した。
意味と背景
意味:雀の子よ、そこをどきなさい、どきなさい。お馬さんが通るよ。道で遊ぶ雀の子に、危ないからよけなさいと声をかけた句。大名行列の「そこのけ」を思わせる言い方で、ユーモアとやさしさが一緒になっている。
座右の銘にするなら・面接での答え方
アルバイトで小さな子どもが店内を走り回っていた時、叱るのではなく「危ないよ、こっちおいで」と声をかけるようにしています。この句のように、やさしく守る声かけを心がけたいです。
目出度さもちう位なりおらが春
出典:『おらが春』巻頭(1819年)
出典について句文集『おらが春』の題名のもとになった句。Wikiquoteで確認した。
意味と背景
意味:めでたさも、まあ中くらいといったところだ、私の新年は。立派な正月飾りもない貧しい暮らしだが、それなりに満足している。「ちう位」には信濃の方言で「いいかげん・ほどほど」の意味もあるとされる。ほどほどの幸せを笑って受け入れる句。
座右の銘にするなら・面接での答え方
完璧を求めすぎて疲れた時、この句で肩の力が抜けました。めでたさは中くらいでも、それで十分。ほどほどの幸せを楽しめる人の方が、長く前向きでいられると思っています。
露の世は露の世ながらさりながら
出典:『おらが春』(1819年)
出典について『おらが春』に載る句で、幼い長女さとを亡くした時に詠んだ。Wikiquoteで確認した。
意味と背景
意味:この世は露のようにはかないものだと分かってはいる。分かってはいるけれど、それでも。娘を失った一茶が、仏の教えで頭では分かっていても、悲しみをどうにもできない気持ちを「さりながら」の一言に込めた。
座右の銘にするなら・面接での答え方
祖父を亡くした時、頭では分かっていても悲しみが消えませんでした。この句を知り、割り切れない気持ちを持つことも自然なことだと思えるようになりました。人の悲しみに寄り添う時、この句を思い出します。
これがまあつひの栖か雪五尺
出典:『句稿消息』(1812年)
出典について故郷の柏原に戻った時の句として知られる。Wikiquoteで確認した。
意味と背景
意味:これがまあ、私が最後に住む家なのか。雪が五尺(約1.5メートル)も積もっている。長い放浪の末に故郷へ帰った一茶が、深い雪に埋もれた家を見て、あきれ半分、覚悟半分でつぶやいた句。
座右の銘にするなら・面接での答え方
一人暮らしを始めた狭いアパートで、思わずこの句を口ずさみました。理想とは違っても、ここが自分の出発点だと思えば愛着がわきます。置かれた場所で腹をくくる、という意味で好きな句です。
名月を取ってくれろと泣く子かな
出典:『七番日記』
出典について『七番日記』に載る句。Wikiquoteで確認した。
意味と背景
意味:あのまん丸いお月さまを取ってちょうだい、と泣く子どもよ。大人には無理だと分かることも、子どもは本気で欲しがる。その無邪気さを、あたたかく見守るまなざしで詠んだ句。
座右の銘にするなら・面接での答え方
大人になると、最初から無理だと決めてしまいがちです。この句の子どものように、欲しいものを素直に欲しいと言える気持ちを忘れたくない。夢を語る時、この句を思い出します。
雪とけて村いっぱいの子供かな
出典:『七番日記』
出典について『七番日記』に載る句。Wikiquoteで確認した。
意味と背景
意味:雪がとけて春が来ると、村中が外で遊ぶ子どもたちでいっぱいになった。長い冬を越えた雪国の春の喜びを、子どもたちのにぎやかな姿で表した明るい句。
座右の銘にするなら・面接での答え方
冬の間こもっていた子どもたちが一斉に外に出てくる、この句の明るさが大好きです。つらい時期の後には必ず春が来る。受験勉強中も、この句の景色を思い浮かべて乗り切りました。
ともかくもあなた任せのとしの暮
出典:『おらが春』結び(1819年)
出典について『おらが春』の最後に置かれた句。Wikiquoteで確認した。「あなた」は阿弥陀仏を指す。
意味と背景
意味:あれこれ思いわずらっても仕方がない。ともかくも、すべては仏さまにおまかせして、この年の暮れを迎えよう。悲しいことの多かった一年を、力を抜いて受け入れる、一茶の到達した心境。
座右の銘にするなら・面接での答え方
できることをやり尽くした後は、結果を気にしすぎないようにしています。試験の後や面接の後、この句を思い出すと気持ちが楽になります。任せる勇気も大事だと思います。
うつくしや障子の穴の天の川
出典:『七番日記』
出典について『七番日記』に載る句。Wikiquoteで確認した。
意味と背景
意味:ああ美しい。破れた障子の穴から見える天の川は。病で寝ていた一茶が、粗末な部屋の障子の破れ目から見えた天の川に心を打たれた句とされる。どんな境遇でも美しさは見つけられる、と教えてくれる。
座右の銘にするなら・面接での答え方
入院中、病室の小さな窓から見えた夕焼けに励まされた経験があります。この句を知って、あの時の気持ちと重なりました。小さな穴からでも美しいものは見える。前向きでいるための大切な句です。
信濃では月と仏とおらがそば
出典:一茶の句として出回るが、一茶の句集には見えない
本当の出どころ信州のそば屋などでよく一茶の句として紹介されるが、Wikiquoteによれば後世の偽作と見られ、一茶の死後に地元の人が作ったとする説が有力。同じように「何のその百万石も笹の露」「親は死ね子は死ねあとで孫は死ね」も一茶作ではないとされる。
意味と背景
意味:信濃の自慢は、月と善光寺の仏さまと、わが村のそばだ。一茶の故郷・信濃をほめる句として親しまれてきたが、一茶自身の作ではないと考えられている。有名な人の名前を借りて広まった句の典型例。
この言葉の使い方
この句が一茶の作ではないと知って驚きました。有名な言葉ほど、誰が言ったかを確かめることが大切です。面接では「一茶の句とされますが実は別人の作らしい」と、調べることの大切さを語る例として使えそうです。
人物の説明の参考:https://ja.wikipedia.org/wiki/小林一茶
ほかの日本の偉人の名言
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