出典:国立国会図書館「近代日本人の肖像」(https://www.ndl.go.jp/portrait/)正岡子規の名言
正岡子規|1867〜1902年|日本|俳人・歌人
伊予松山の藩士の家に生まれ、本名は常規。東京で夏目漱石と親友になり、新聞『日本』の記者として俳句と短歌の改革に取り組んだ。見たままを描く「写生」を説き、近代の俳句・短歌の土台を作った。若くして結核から脊椎カリエスを患い、病床から『墨汁一滴』『病牀六尺』などを書き続けて34歳で亡くなった。野球好きとしても知られ、野球殿堂入りしている。
のせている言葉:11こ(出典あり 11)更新:2026-10-20
この人の名言の一覧(11こ)
- 柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺
- 病床六尺、これが我世界である。
- それでも生きて居ればいひたい事はいひたいもので
- 悟りといふ事は如何なる場合にも平気で死ぬる事かと…
- 病気の境涯に処しては、病気を楽しむといふことにな…
- 人の希望は初め漠然として大きく後漸く小さく確実に…
- 貫之は下手な歌よみにて『古今集』はくだらぬ集に有…
- ベースボール未だ曽て訳語あらず、今こゝに揚げたる…
- 九つの人九つの場をしめてベースボールの始まらんと…
- 糸瓜咲て痰のつまりし仏かな
- 鶏頭の十四五本もありぬべし
それぞれの名言に、出典(どの本・手紙・演説か)と、確かさのしるし(出典あり伝承・出典未確認実は言っていない)をつけています。外国語の言葉は運営者が原文から訳しました。
柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺
出典:奈良旅行の折の句(1895年)
出典についてWikipedia「正岡子規」の著名作に載る代表句。Wikipediaによれば、療養や奈良旅行を世話してくれた夏目漱石の句「鐘つけば銀杏ちるなり建長寺」への返礼の句。旧かなのまま。
意味と背景
柿を食べていると、法隆寺の鐘が鳴った、という句。秋の味覚と古寺の鐘の音が重なり、のどかな奈良の秋が一瞬で浮かぶ。病み上がりの旅で大好物の柿を味わう子規の喜びと、親友漱石への感謝がこもった一句でもある。
座右の銘にするなら・面接での答え方
座右の銘ではありませんが、「好きな俳句は」と聞かれた時の定番です。漱石の句への返礼だったという裏話まで話せると、友人への感謝を形にすることの大切さを語るきっかけになります。
病床六尺、これが我世界である。
出典:『病牀六尺』一(1902年5月、新聞『日本』連載)
出典について青空文庫『病牀六尺』の最初の段の書き出し。続けて「しかもこの六尺の病床が余には広過ぎるのである」とある。
意味と背景
畳一枚ほどの病床、それが私の世界のすべてだ、という意味。しかもその狭い床さえ広すぎると続き、足を伸ばすこともできない病状が分かる。それでも子規はこの六尺から、毎日新聞に文章を書き続け、亡くなる2日前まで連載した。
座右の銘にするなら・面接での答え方
できる範囲がどんなに狭くても、その中で表現し続けた子規の姿勢を手本にしています。面接では、けがや制約があった時期にできることを探して続けた経験と合わせると、言葉の重みが伝わります。
それでも生きて居ればいひたい事はいひたいもので
出典:『病牀六尺』一(1902年)
出典について青空文庫『病牀六尺』最初の段にある。直前に「苦痛、煩悶、号泣、麻痺剤、僅かに一条の活路を死路の内に求めて少しの安楽を貪る果敢なさ」とある。
意味と背景
激しい痛みと苦しみの中でも、生きていれば言いたいことは言いたいものだ、という意味。新聞を読めば腹の立つこともうれしいこともある、と続く。死の近くにいても、世の中に関心を持ち、言葉を発し続けたいという人間らしい欲求が表れている。
座右の銘にするなら・面接での答え方
どんな状況でも自分の考えを持ち、伝えることをあきらめないという意味で心に置いています。面接では、意見を言いにくい場面でも、言葉を選んで伝えた経験と合わせて話すと良いです。
悟りといふ事は如何なる場合にも平気で死ぬる事かと思つて居たのは間違ひで、悟りといふ事は如何なる場合にも平気で生きて居る事であつた。
出典:『病牀六尺』二十一(1902年6月2日)
出典について青空文庫『病牀六尺』の「二十一」(六月二日付)にある。直前に「余は今まで禅宗のいはゆる悟りといふ事を誤解して居た」とある。
意味と背景
悟りとは、どんな時でも平気で死ねることだと思っていたが間違いで、どんな時でも平気で生きていることだった、という意味。激痛の病床にいた子規が、死を恐れないことより、苦しみの中で日々を生き続けることのほうが難しく尊いと気づいた言葉。
座右の銘にするなら・面接での答え方
つらい時期を投げ出さずに淡々と過ごすことの大切さを教えてくれた言葉です。面接では、劇的な成功より、苦しい中で毎日を積み重ねた経験を語る時に、この言葉を添えると深みが出ます。
病気の境涯に処しては、病気を楽しむといふことにならなければ生きて居ても何の面白味もない。
出典:『病牀六尺』七十五(1902年7月26日)
出典について青空文庫『病牀六尺』の「七十五」(七月二十六日付)にある。
意味と背景
病気の身になったら、その病気さえ楽しむようにならなければ、生きていても面白くない、という意味。苦しみを嘆くだけでなく、病床で草花を描き、果物を味わい、人と語ることに楽しみを見つけた子規の生き方そのもの。
座右の銘にするなら・面接での答え方
思い通りにならない状況でも、その中で楽しみを見つけるようにしています。面接では、望まない役割を任された時に面白さを見つけて取り組んだ経験と合わせると、前向きさが伝わります。
人の希望は初め漠然として大きく後漸く小さく確実になるならひなり。
出典:『墨汁一滴』(1901年、新聞『日本』連載)
出典について青空文庫『墨汁一滴』の本文にある(一月三十日付の記事の次の段)。
意味と背景
人の望みは、最初はぼんやりと大きく、だんだん小さく確かなものになっていく、という意味。子規自身、庭を歩ければ、立てれば、座れれば、と病の進行とともに望みが小さくなっていったと続く。悲しいが、望みを持ち続ける強さも感じさせる。
座右の銘にするなら・面接での答え方
大きな夢を、だんだん具体的で確かな目標に絞っていくことの大切さとしても読めます。面接では、ぼんやりした憧れから具体的な志望へと変わっていった過程を話す時に使えます。
貫之は下手な歌よみにて『古今集』はくだらぬ集に有之候。
出典:「再び歌よみに与ふる書」(1898年、新聞『日本』)
出典について青空文庫「歌よみに与ふる書」所収「再び歌よみに与ふる書」の書き出し。
意味と背景
千年近く手本とされてきた紀貫之と『古今集』を、下手でくだらないと言い切った衝撃的な一文。実は自分も数年前までは古今集を崇拝していた、と正直に続ける。権威を疑い、短歌を作り直そうとした子規の改革宣言である。
座右の銘にするなら・面接での答え方
座右の銘には過激ですが、「権威だから正しいとは限らない。自分の目で確かめる」という姿勢の例として話せます。自分もかつては信じていたと認める正直さも、子規から学べる点です。
ベースボール未だ曽て訳語あらず、今こゝに揚げたる訳語は吾の創意に係る。
出典:新聞『日本』掲載の随筆(1896年7月27日付)
出典についてWikipedia「正岡子規」の「子規と野球」に引用される。子規はここで「打者」「走者」「四球」「直球」「飛球」などの訳を示した。ただし「野球(やきゅう)」という訳語を作ったのは子規ではなく中馬庚。子規は幼名「升(のぼる)」にちなんだ雅号「野球(のぼーる)」を使っただけで、「子規が野球と名付けた」というのは誤解である。
意味と背景
ベースボールにはまだ日本語の訳がないので、ここに挙げた訳は自分で考えたものだ、という意味。打者・走者・直球など今も使う言葉を、子規が新聞で提案した。ベースボールそのものの訳は示しておらず、野球という名は別の人が付けた。
座右の銘にするなら・面接での答え方
野球部の人なら、身近な言葉の生みの親として話のネタになります。面接では「新しいものを広めるには、分かりやすい言葉に置き換えることが大事」と、説明の工夫について話すきっかけに使えます。
九つの人九つの場をしめてベースボールの始まらんとす
出典:子規の短歌
出典についてWikipedia「正岡子規」の「子規と野球」に、野球を題材にした子規の歌として載る。
意味と背景
九人の選手がそれぞれ九つの守備位置について、今まさにベースボールが始まろうとしている、という歌。試合開始直前の緊張感と高まりを、数字を重ねてリズムよく詠んでいる。捕手として野球に熱中した子規ならではの一首。
座右の銘にするなら・面接での答え方
それぞれが自分の持ち場について、全員そろって初めて始まる、というチームワークの歌として使えます。面接では、自分の役割を責任を持って守ることを大切にしていると話す時の、ちょっとしゃれた引用になります。
糸瓜咲て痰のつまりし仏かな
出典:辞世の句(1902年9月18日、絶筆三句の一つ)
出典についてWikipedia「正岡子規」に辞世の句として載る。ほかに「痰一斗糸瓜の水も間にあはず」「をとゝひのへちまの水も取らざりき」がある。子規の命日9月19日は「糸瓜忌」と呼ばれる。
意味と背景
へちまの花が咲いているが、痰がつまってもう仏(死人)になってしまう自分だ、という句。へちまの水は痰を切る薬とされていた。死の前日に、自分の死をどこかおかしみを込めて客観的に詠んでおり、最後まで写生の目を失わなかった。
座右の銘にするなら・面接での答え方
座右の銘には向きませんが、最後まで自分を客観的に見つめた子規の強さを語る例になります。好きな俳人を聞かれた時に、この絶筆にまつわる話をすると、子規の生き方への理解が伝わります。
鶏頭の十四五本もありぬべし
出典:子規の句(1900年)
出典についてWikipedia「正岡子規」の著名作に載る句。旧かなのまま。
意味と背景
庭には鶏頭の花が十四、五本もあるだろう、という句。病床から起き上がれず庭をよく見られない子規が、あるはずの鶏頭の赤を思い描いている。数をぼかした言い方が、かえって実際の景色の確かさを感じさせると評価されてきた。
座右の銘にするなら・面接での答え方
見えないものを想像で描く力の例として紹介できます。面接では、限られた情報からでも全体を思い描いて準備した経験と合わせ、「想像力も観察の一部」と話すと個性的な答えになります。
人物の説明の参考:https://ja.wikipedia.org/wiki/正岡子規
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