出典:国立国会図書館「近代日本人の肖像」(https://www.ndl.go.jp/portrait/)新島八重の名言
新島八重|1845〜1932年|日本|教育者・篤志看護婦
会津藩の砲術師範・山本家に生まれ、戊辰戦争では男装して鉄砲を手に鶴ヶ城に籠城して戦った。のち京都で兄・山本覚馬を頼り、新島襄と結婚して同志社の創立を支えた。夫の死後は日本赤十字社の篤志看護婦として日清・日露戦争で傷病兵の看護にあたり、茶道の師範としても活躍した。「幕末のジャンヌ・ダルク」「ハンサム・ウーマン」と呼ばれる。
のせている言葉:13こ(出典あり 12・実は言っていない 1)更新:2026-10-20
この人の名言の一覧(13こ)
- 明日の夜は 何国の誰か ながむらむ なれし御城に…
- たのみつる 竹は深雪に 埋もれて 世のうきふしを…
- 大磯の 岩にくだけし しらなみも 玉とかがやく …
- ひとりねの 寝覚の床は 春雨の おときくさへも …
- 打寄する うき世のなみは あらくとも こころの岩…
- 東山 弓張月は てらせども むかしの城は いまく…
- いくとせか みねにかかれる 村雲の はれて嬉しき…
- 六十とせの むかしをかたる 友もなく あはれさみ…
- もののふの わざはいみじに 習ふとも やまと心は…
- わかれしは ただつかのまと おもひしに はやくも…
- 若松の わがふるさとに 来て見れば さきだつもの…
- 老ぬれど 又も越えなむ 白河の 関のとざしは よ…
- めづらしと 誰か見ざらん 世の中の 春にさきだつ…
それぞれの名言に、出典(どの本・手紙・演説か)と、確かさのしるし(出典あり伝承・出典未確認実は言っていない)をつけています。外国語の言葉は運営者が原文から訳しました。
明日の夜は 何国の誰か ながむらむ なれし御城に 残す月影
出典:鶴ヶ城開城の前夜(戊辰の年・旧暦9月)に詠んだ和歌。詞書「戊辰長月二十日あまり三日の夜、さしのぼる月のいとさやけなるを見て」(1868年)
出典について同志社女子大学の研究者の論文「新島八重の和歌について」(2014)で、現存する八重の和歌の最初の一首として詞書つきで載る。八重自筆の書が10点以上残る。最初に活字になった時は作者名なし・初句「明日よりは」だった、とも論文は記す。会津若松市に同志社が建てた歌碑がある。
意味と背景
明日の夜は、どこの国の誰がこの月を眺めるのだろう。住み慣れたお城に月の光だけを残して、私たちは去っていく、という意味。籠城戦に敗れて城を明け渡す無念と、故郷を奪われる悲しみを月に託した歌で、八重の代表作とされる。
座右の銘にするなら・面接での答え方
悔しさを抱えながらも前を向く覚悟を表す歌として使えます。面接では、大事な大会で負けた夜にこの歌を知り、終わりを受け止めてから次に向かう大切さを学んだと話すと、八重の生き方と重なる答えになります。
たのみつる 竹は深雪に 埋もれて 世のうきふしを たれとかたらむ
出典:「亡愛夫襄発病ノ覚」の末尾に記した和歌(明治23年2月10日付)(1890年)
出典について同志社女子大学の研究者の論文に、夫・襄の看病の記録の末尾に八重自身が書いた歌として載る。
意味と背景
頼りにしていた竹は深い雪に埋もれてしまった。これから世の中のつらいことを、いったい誰と語り合えばよいのだろう。夫・新島襄を亡くした直後の悲しみを、「竹」と「節(ふし)」を掛けて詠んだ歌。
座右の銘にするなら・面接での答え方
大切な人を支えにしてきたことへの感謝を表す歌です。座右の銘にするなら「支えてくれる人がいる今を大事にする」という意味で使えます。面接では、家族への感謝を言葉にするきっかけになった歌として話すとよいでしょう。
大磯の 岩にくだけし しらなみも 玉とかがやく 世にこそありけれ
出典:夫・襄が亡くなった明治23年春の和歌。八重が国民新聞社の社主にあてた手紙で正しい形として書き送ったもの(1890年)
出典について同志社女子大学の研究者の論文による。国民新聞には「大磯にくだけし波も白玉とかがやく世こそうれしかりけれ」と手が入った形で載り、八重が社主に「ちがへ居申候」と訂正の手紙を送った。ここでは八重自身が示した形を載せた。
意味と背景
襄が息を引き取った大磯の岩に砕けた白波も、玉のように輝く。そういう世の中なのだ、という意味。夫の死は砕けた波のようでも、その一生は光を放ち続ける、という思いが読み取れる。新聞の直しに抗議したほど大事にした歌。
座右の銘にするなら・面接での答え方
つらい出来事にも意味や輝きを見いだしたい人に合う歌です。面接では、挫折した経験も今の自分を照らす財産になったと話し、八重が自分の言葉にこだわって新聞社に訂正を求めた逸話と合わせると、芯の強さも伝わります。
ひとりねの 寝覚の床は 春雨の おときくさへも さびしかりける
出典:詞書「夫のみまかりける年の春」の連作(明治23年春)(1890年)
出典について同志社女子大学の研究者の論文に、八重の米寿祝いの会報に載った「丹鶴抄」の一首として載る。
意味と背景
一人で眠り、ふと目覚めた床の中では、春雨の音を聞くことさえさびしく感じられる、という歌。いつもそばにいた夫がいない夜の静けさを、やわらかな春雨の音で表している。気丈な八重の、弱さを見せた数少ない歌。
座右の銘にするなら・面接での答え方
強い人にもさびしさはあると認める歌です。座右の銘というより、家族や身近な人を大切にしようと思える言葉として使えます。面接では、一人暮らしを始めて家族のありがたさに気づいた体験と重ねて話すと自然です。
打寄する うき世のなみは あらくとも こころの岩は うごかざりけり
出典:襄の十周忌(明治33年)のころの和歌。題「述懐」。『上毛教界月報』16号(1900年2月)掲載
出典について同志社女子大学の研究者の論文に、掲載誌名つきで載る。論文は八重の信仰の強さを詠んだ歌と解説している。
意味と背景
打ち寄せる世の中の波がどんなに荒くても、心の中の岩は少しも動かない、という意味。夫を亡くして十年、周りの批判や苦労の中でも、自分の信念と信仰は揺るがなかったという八重の強さが表れた歌。
座右の銘にするなら・面接での答え方
周りに流されない強さを持ちたい人の座右の銘になります。面接では、周りに反対されても自分で決めた進路を貫き、結果を出すまで努力を続けた経験を話して、心の岩を持てる人でありたいと伝えるとよいでしょう。
東山 弓張月は てらせども むかしの城は いまくさの原
出典:詞書「古里」。大正10年、77歳で会津若松を訪れた時の和歌(『会津会会報』19号)(1921年)
出典について同志社女子大学の研究者の論文に、掲載誌名つきで載る。論文は開城の歌「明日の夜は」と月で呼応しているかもしれないと述べる。
意味と背景
会津の東山には昔と同じように弓張月(半月)が照っているのに、かつて籠城した鶴ヶ城は取り壊され、今は草の原になっている、という意味。半世紀ぶりの故郷で、変わらぬ自然と消えた城を見比べた、しみじみとした歌。
座右の銘にするなら・面接での答え方
変わるものと変わらないものを見つめる歌です。面接では、久しぶりに帰った地元の変化に驚きつつも、変わらない人の温かさに支えられたと話し、故郷への思いを仕事の原動力にしたい、と結ぶと自然です。
いくとせか みねにかかれる 村雲の はれて嬉しき 光りをぞ見る
出典:昭和3年、旧会津藩主・松平容保の孫娘と秩父宮の結婚を祝って詠んだ和歌(1928年)
出典について同志社女子大学の研究者の論文に、詠んだ事情とともに載る。論文は「60年ぶりに朝敵の汚名がすすがれた」喜びの歌と解説する。
意味と背景
何年もの間、峰にかかっていた群雲がようやく晴れて、うれしい光を見ることができた、という意味。戊辰戦争で「朝敵」とされた会津の人々が、60年たってその汚名を晴らせた喜びを、雲が晴れる景色にたとえている。
座右の銘にするなら・面接での答え方
長いトンネルの先の光を信じる歌です。面接では、何度も不合格になった資格に挑み続けて合格できた経験を話し、時間がかかっても雲はいつか晴れると信じて努力を続けられる人間だと伝えると、具体的な答えになります。
六十とせの むかしをかたる 友もなく あはれさみしき こほろぎのこゑ
出典:詞書「戊辰あき」。昭和3年秋、84歳の時の和歌(1928年)
出典について同志社女子大学の研究者の論文に載る。
意味と背景
戊辰戦争から60年。あのころの話をし合える友はもういない。こおろぎの声だけがさびしく聞こえる、という歌。会津の名誉回復を喜ぶ一方で、共に戦った仲間がみな世を去った寂しさを詠んでいる。
座右の銘にするなら・面接での答え方
今いる仲間を大切にしよう、と思わせる歌です。面接では、部活の仲間と卒業後も連絡を取り続けていることを話し、思い出を語り合える友の大切さを知っているからこそ、職場でも長く続く人間関係を築きたいと結ぶとよいでしょう。
もののふの わざはいみじに 習ふとも やまと心は うごかすなゆめ
出典:昭和4年12月の和歌(1929年)
出典について同志社女子大学の研究者の論文に載る(同志社社史資料センター寄託資料による)。
意味と背景
武士の技をどれほど立派に身につけたとしても、日本人としての穏やかでやさしい心は決して失ってはならない、という戒めの歌。銃を手に戦った八重が晩年に詠んだからこそ、強さよりも心のあり方を重んじる思いが伝わる。
座右の銘にするなら・面接での答え方
技術や強さより心が大事だ、という意味で座右の銘にできます。面接では、武道や部活で強くなるほど相手への礼儀を大切にするよう教わった経験を話し、仕事でも腕を磨きながら人への思いやりを忘れない、と結ぶとよいでしょう。
わかれしは ただつかのまと おもひしに はやくもたちし 四十年の今日
出典:詞書「去月二十三日亡夫四十年祭の折に」。昭和5年、知人あての手紙に書いた和歌(1930年)
出典について同志社女子大学の研究者の論文に、八重の知人あての書簡に書かれた歌として載る。
意味と背景
夫と別れたのはほんの少し前のことのように思っていたのに、もう四十年が過ぎてしまった、という歌。何十年たっても色あせない夫への思いと、時の流れの速さへの驚きがこめられている。
座右の銘にするなら・面接での答え方
時間の大切さを思い出させる歌です。座右の銘にするなら「大切な人と過ごす今を後回しにしない」という意味で使えます。面接では、祖父母と過ごす時間を意識して作るようになったきっかけとして話すと伝わりやすいです。
若松の わがふるさとに 来て見れば さきだつものは なみだ成けり
出典:詞書「ふるさとわすれがたく」。昭和5年4月、86歳で最後に会津若松を訪れた時の和歌(1930年)
出典について同志社女子大学の研究者の論文に載る。半紙に書いて知人のジャーナリストに贈ったものが、その記念館に残るという。
意味と背景
故郷の会津若松に来てみると、何より先にこぼれてくるのは涙だった、という歌。80歳を超えて、おそらく最後になると思いながら訪れた故郷で、言葉より先に涙があふれた八重の心がそのまま表れている。
座右の銘にするなら・面接での答え方
故郷や原点を大事にする気持ちを表す歌です。面接では、地元を離れて学んだからこそ故郷の良さに気づき、将来は地元に役立つ仕事がしたいと考えるようになった、と志望動機と結ぶと自然な答えになります。
老ぬれど 又も越えなむ 白河の 関のとざしは よしかたくとも
出典:昭和5年ごろの「ふるさとわすれがたく」の歌群の一首(1930年)
出典について同志社女子大学の研究者の論文に載る。論文は詠んだ時期は内容から別の時かもしれないと注記している。
意味と背景
年をとってしまったけれど、また白河の関を越えて故郷へ行こう。たとえ関の扉がかたく閉ざされていても、という歌。白河の関は会津への入り口。年齢に負けず、何度でも故郷に向かおうとする八重の気迫が感じられる。
座右の銘にするなら・面接での答え方
年齢や壁に負けず挑み続けたい人の座右の銘になります。面接では、難しいと言われた目標にもう一度挑戦した経験を話し、壁が固くても越えに行く姿勢を大事にしていると伝えると、八重らしい力強い答えになります。
めづらしと 誰か見ざらん 世の中の 春にさきだつ 梅の初花
出典:八重の歌として紹介されることがあるが、実は湯浅半月が八重の死後に詠んだ歌
本当の出どころ同志社女子大学の研究者の論文によると、NHKの歴史番組のエンディングで読み上げられたため八重の歌と誤解した人がいたが、実は詩人・湯浅半月(1943年没)が八重の死後に八重をたたえて詠んだ歌。現存する八重の和歌34首には桜や梅の歌は一首もないという。
意味と背景
世の中の春に先がけて咲く梅の初花を、珍しいと見ない人はいないだろう、という歌。時代に先がけて生きた八重を梅の花にたとえてたたえたもので、本人の作ではない。八重を詠んだ歌が八重の歌として広まった例。
この言葉の使い方
座右の銘に使うなら「八重をたたえて湯浅半月が詠んだ歌」と正しく紹介しましょう。面接で、有名な言葉ほど出どころを確かめる習慣があると話し、この歌の取り違えを例に出すと、調べる力のアピールになります。
人物の説明の参考:https://ja.wikipedia.org/wiki/新島八重
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