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肖像画:ヨハン・ゴットリープ・ベッカー『イマヌエル・カントの肖像』(パブリックドメイン)(ファイルのページ ) カントの名言 イマヌエル・カント|1724〜1804年|プロイセン(現在のドイツ)|哲学者
東プロイセンのケーニヒスベルクに生まれ、生涯ほとんど町を出ずに大学で教えた哲学者。『純粋理性批判』『実践理性批判』『判断力批判』で、人は何を知ることができ、何をなすべきかを根本から問い直した。人を手段としてだけ扱ってはならないという道徳の考えや、永久平和の構想は、今の人権や国際協調の考え方にもつながっている。
のせている言葉:16こ(出典あり 13・実は言っていない 3)更新:2026-10-20
この人の名言の一覧(16こ) 考えれば考えるほど、いつも新たに、ますます深い感… あえて賢くあれ! 自分の頭で考える勇気を持て! 啓蒙とは、人間が自分で招いた未成年の状態から抜け… 未成年のままでいるのは、なんと楽なことか。 自分の人格と、他のすべての人の人格の内にある人間… 内容のない思考は空っぽであり、概念のない直観は盲… 人間という曲がった木材から、まっすぐなものは何一… 人間は、教育を必要とする動物である。 私は何を知りうるか。私は何をなすべきか。私は何を… 自分から虫けらになる者は、後で踏みつけられても文… 私は、信仰に場所を空けるために、知識を取りのけな… 法が政治に合わせるのではなく、政治がいつも法に合… ヴォルテールは、天は人生の多くの苦労を埋め合わせ… 愛する人の記憶の中に生きる者は、死んだのではない… 目標のない者は運命に耐えるだけだが、目標を持つ者… 聖書は私の最も尊い宝であり、それがなければ私はみ…
それぞれの名言に、出典 (どの本・手紙・演説か)と、確かさのしるし(出典あり 伝承・出典未確認 実は言っていない )をつけています。外国語の言葉は運営者が原文から訳しました。
考えれば考えるほど、いつも新たに、ますます深い感嘆かんたん と畏敬いけい で心を満たすものが二つある。私の上にある星空と、私の内にある道徳法則である。 原文(ドイツ語) Zwei Dinge erfüllen das Gemüt mit immer neuer und zunehmender Bewunderung und Ehrfurcht, je öfter und anhaltender sich das Nachdenken damit beschäftigt: Der bestirnte Himmel über mir, und das moralische Gesetz in mir.
出典:『実践理性批判』結び(1788年)
出典について 『実践理性批判』の結びの原文。ドイツ語版Wikiquoteに載っている。カントの墓碑にもこの言葉が刻まれている。
意味と背景 夜空の星の果てしなさは、人間がいかに小さいかを感じさせる。一方で心の中の「こうすべきだ」という道徳の声は、人間がただの動物ではない尊い存在であることを示す。外の宇宙と内なる心、その二つへの驚きを語ったカントの代表的な言葉。
座右の銘にするなら・面接での答え方 星を見るのが好きで、この言葉に出会いました。広い宇宙を前にすると自分は小さいけれど、正しくありたいと思う心は誇っていいと感じます。誰も見ていない時も自分の良心に恥じない行動をすることを、仕事の軸にしたいです。
あえて賢かしこ くあれ! 自分の頭で考える勇気を持て! 原文(ドイツ語) Sapere aude! Habe Mut, dich deines eigenen Verstandes zu bedienen!
出典:論文『啓蒙とは何か』(1784年)
出典について 『啓蒙とは何かという問いへの答え』の原文。ドイツ語版Wikiquoteに載っている。「Sapere aude」は古代ローマの詩人ホラティウスの言葉で、カントがこれを啓蒙の標語として掲げた。
意味と背景 人に言われたことをそのまま信じるのではなく、自分の理性を使って考えよ、という呼びかけ。カントは、考える力がないのではなく、考える勇気がないことが問題だと見た。啓蒙の時代を代表する標語として今もよく引用される。
座右の銘にするなら・面接での答え方 ネットの意見をうのみにしていた自分を反省し、この言葉を座右の銘にしました。今は大事なことほど、元の資料を見て自分で判断します。仕事でも指示を待つだけでなく、自分で考えて提案できる人でありたいです。
啓蒙けいもう とは、人間が自分で招いた未成年の状態から抜ぬ け出すことである。原文(ドイツ語) Aufklärung ist der Ausgang des Menschen aus seiner selbstverschuldeten Unmündigkeit.
出典:論文『啓蒙とは何か』冒頭(1784年)
出典について 『啓蒙とは何かという問いへの答え』冒頭の原文。ドイツ語版Wikiquoteに載っている。
意味と背景 ここでいう「未成年」とは、人に導かれないと自分で考えられない状態のこと。それは能力が足りないからではなく、決断と勇気が足りないために自分で招いたものだとカントは言う。そこから抜け出すことこそ啓蒙だと定めた有名な一文。
座右の銘にするなら・面接での答え方 親や先生に言われるまま進路を決めかけていた時、この言葉で考え直しました。自分で調べ、自分で決めた道だから頑張れています。仕事でも人任せにせず、自分の判断に責任を持てる大人でありたいと思っています。
未成年のままでいるのは、なんと楽なことか。 原文(ドイツ語) Es ist so bequem, unmündig zu sein.
出典:論文『啓蒙とは何か』(1784年)
出典について 『啓蒙とは何かという問いへの答え』の原文。ドイツ語版Wikiquoteに載っている。
意味と背景 考えることを本や牧師や医者に任せてしまえば、自分で悩む必要はない。だから人は楽な方を選び、自分で考えない状態にとどまってしまう、という皮肉。自立の一番の敵は、他人ではなく自分の中の「楽をしたい気持ち」だと指摘している。
座右の銘にするなら・面接での答え方 調べ物をすぐ人に聞いて済ませていた自分に、耳の痛い言葉でした。今はまず自分で調べ、それでも分からない時に聞くようにしています。楽な方に流れそうな時、この言葉を思い出して自分の頭を使うようにしています。
自分の人格と、他のすべての人の人格の内にある人間性を、いつも同時に目的として扱あつか い、決して単なる手段としてだけ扱あつか わないように行為こうい せよ。 原文(ドイツ語) Handle so, dass du die Menschheit sowohl in deiner Person, als auch in der Person eines jeden anderen jederzeit zugleich als Zweck, niemals bloß als Mittel brauchest.
出典:『道徳形而上学の基礎づけ』(BA 67)(1785年)
出典について 『道徳形而上学の基礎づけ』の原文。ドイツ語版Wikiquoteに載っている。
意味と背景 人を自分の目的のための道具としてだけ使ってはならず、その人自身を大切な存在として扱え、という道徳の原則。仕事で人に頼ることは当然あるが、その時も相手の人格を尊重せよという意味で、今の人権の考え方の土台にもなっている。
座右の銘にするなら・面接での答え方 アルバイトのリーダーをした時、仲間を「人手」としてではなく一人の人として見るよう心がけました。それぞれの得意を生かす配置にしたら雰囲気がよくなりました。人を大切にするリーダーになりたいという思いの原点の言葉です。
内容のない思考は空っぽであり、概念がいねん のない直観は盲目もうもく である。 原文(ドイツ語) Gedanken ohne Inhalt sind leer, Anschauungen ohne Begriffe sind blind.
出典:『純粋理性批判』(A 51 / B 75)(1781年)
出典について 『純粋理性批判』の原文。ドイツ語版Wikiquoteに載っている。
意味と背景 頭の中だけで考えた理屈は、実際の経験の裏づけがなければ中身がない。逆に、見たり聞いたりしたことも、考える枠組みがなければ意味が分からない。人が何かを知るには、経験と考える力の両方が必要だという、カント哲学の要の一文。
座右の銘にするなら・面接での答え方 理論だけ覚えても実験しないと分からず、実験だけしても理論がないと説明できない、と理科の授業で実感しました。仕事でも現場の経験と知識の両方を大事にしたいです。偏らず、両方をつなげて考える人でありたいです。
人間という曲がった木材から、まっすぐなものは何一つ作れない。 原文(ドイツ語) aus so krummem Holze, als woraus der Mensch gemacht ist, kann nichts ganz Gerades gezimmert werden.
出典:論文『世界市民的見地における普遍史の理念』第6命題(1784年)
出典について 『世界市民的見地における普遍史の理念』の原文。ドイツ語版Wikiquoteに載っている。
意味と背景 人間はもともと曲がった木のように欠点だらけで、完全に正しい人や社会を作ることはできないという意味。だから理想を押しつけるのではなく、不完全さを前提に少しずつ良くしていくしかない、という現実的な考えにつながる言葉。
座右の銘にするなら・面接での答え方 完璧主義で自分も周りも疲れさせていた時に、この言葉で肩の力が抜けました。人は不完全だからこそ、仕組みや助け合いで補えばいいと思えます。完璧を求めすぎず、少しずつ改善していくチームを作りたいです。
人間は、教育を必要とする動物である。 原文(ドイツ語) Der Mensch ist ein Tier, was eine Erziehung nötig hat
出典:『人間学についての遺稿(レフレクシオーン)』
出典について カントの遺稿のメモの原文。ドイツ語版Wikiquoteに載っている。
意味と背景 ほかの動物は本能で生きていけるが、人間は育てられ、学ぶことで初めて人間らしくなれるという意味。カントは大学で教育学も講義し、人は教育によって自分の力を伸ばし、自由に考える存在になると考えた。教育の大切さを示す一文。
座右の銘にするなら・面接での答え方 塾講師のアルバイトで、教え方ひとつで生徒が変わる姿を見て、この言葉に深くうなずきました。人は教わり、学ぶことで伸びていきます。後輩や新人の育成にも力を注げる人でありたいと考えています。
私は何を知りうるか。私は何をなすべきか。私は何を望んでよいか。人間とは何か。 原文(ドイツ語) Was kann ich wissen? Was soll ich tun? Was darf ich hoffen? Was ist der Mensch?
出典:『論理学』(イェッシェ編)序論(1800年)
出典について 弟子イェッシェが編集したカントの『論理学』の原文。ドイツ語版Wikiquoteに載っている。最初の三つの問いは『純粋理性批判』にもある。
意味と背景 哲学が答えるべき問いを四つにまとめた言葉。知ることの限界、なすべき行い、希望、そして最後にそれらをまとめる「人間とは何か」という問い。カントは、哲学とは結局、人間を知ることだと考えた。自分の生き方を考える手がかりになる。
座右の銘にするなら・面接での答え方 進路に迷った時、この四つの問いをノートに書いて自分なりに答えてみました。何ができ、何をすべきか、何を望むかが整理でき、志望が決まりました。大きな決断の前に、この問いで自分を見つめ直すようにしています。
自分から虫けらになる者は、後で踏ふ みつけられても文句は言えない。 原文(ドイツ語) Wer sich aber zum Wurm macht, kann nachher nicht klagen, daß er mit Füßen getreten wird.
出典:『人倫の形而上学』徳論(アカデミー版 第6巻437ページ)(1797年)
出典について 『人倫の形而上学』の「自分に対する義務」を論じた箇所の原文。アカデミー版カント全集(第6巻437ページ)の電子版で確認。
意味と背景 自分で自分をおとしめ、人にこびへつらう者は、ばかにされても仕方がないという厳しい言葉。カントは、人は他人だけでなく自分の尊厳も大切にする義務があると考えた。卑屈にならず、自分を一人の人間として重んじよという教え。
座右の銘にするなら・面接での答え方 嫌われたくなくて何でも引き受けていた時期に、この言葉ではっとしました。今は無理な頼みには理由を添えて断るようにしています。自分を大事にできる人の方が、結局は周りからも大事にされると考えています。
私は、信仰しんこう に場所を空けるために、知識を取りのけなければならなかった。 原文(ドイツ語) Ich musste das Wissen aufheben, um zum Glauben Platz zu bekommen.
出典:『純粋理性批判』第2版 序文(B XXX)(1787年)
出典について 『純粋理性批判』第2版序文の原文。ドイツ語版Wikiquoteに載っている。
意味と背景 神や魂の不死などは、理性で証明することも否定することもできない。カントは知識の届く範囲をはっきり限ることで、その外側に信じることの余地を残した。何でも理屈で決着させようとせず、知の限界をわきまえよという意味でもある。
座右の銘にするなら・面接での答え方 座右の銘というより、分かることと分からないことを区別する大切さを教えてくれる言葉です。仕事でも、確かなデータで言えることと推測を分けて報告するようにしています。知らないことを知らないと言える誠実さを大事にしたいです。
法が政治に合わせるのではなく、政治がいつも法に合わせなければならない。 原文(ドイツ語) Das Recht muß nie der Politik, wohl aber die Politik jederzeit dem Recht angepaßt werden.
出典:論文『人間愛から嘘をつく権利と称されるものについて』(1797年)
出典について カントの論文の原文。ドイツ語版Wikiquoteに載っている。
意味と背景 権力を持つ者が都合に合わせて決まりを曲げてはならず、政治の方こそ正しい決まりに従うべきだという意味。カントは、法は人々の自由を守るものであり、政治の道具にしてはならないと考えた。今の「法の支配」の考え方につながる言葉。
座右の銘にするなら・面接での答え方 生徒会で、決まりを自分たちの都合で変えようとする意見が出た時、この言葉を思い出して反対しました。ルールは公平に守ってこそ信頼が生まれます。仕事でも立場に関係なく決まりを守れる人でありたいです。
ヴォルテールは、天は人生の多くの苦労を埋う め合わせるために、希望と眠ねむ りの二つを与あた えたと言った。彼かれ は笑いも加えてよかったのだ。 原文(ドイツ語) Voltaire sagte, der Himmel habe uns zum Gegengewicht gegen die vielen Mühseligkeiten des Lebens zwei Dinge gegeben: die Hoffnung und den Schlaf. Er hätte noch das Lachen dazu rechnen können
出典:『判断力批判』第54節(アカデミー版 第5巻334ページ)(1790年)
出典について 『判断力批判』の原文。ドイツ語版Wikiquoteに載っている。よく出回る「天は人間に希望・眠り・笑いの三つを与えた」はカント自身の言葉としては不正確で、前半の二つはヴォルテールの詩の言葉、「笑い」を加えたのがカント。
意味と背景 人生にはつらいことが多いが、明日への希望と、ぐっすり眠ることと、笑うことがあれば乗り越えていける、という意味。まじめな哲学者の印象が強いカントが、笑いの効き目をきちんと認めているところに、人間味が感じられる一節である。
座右の銘にするなら・面接での答え方 落ち込んだ時ほど、よく寝て、笑える動画を見て、明日の楽しみを一つ考えるようにしています。この言葉は前半がヴォルテール、笑いを足したのがカントだと知り、面白く感じました。職場でも笑顔のある雰囲気を作りたいです。
愛する人の記憶きおく の中に生きる者は、死んだのではない。遠くにいるだけだ。死んだのは、忘れられた者だけである。 原文(ドイツ語) Wer im Gedächtnis seiner Lieben lebt, der ist nicht tot, der ist nur fern; tot ist nur, wer vergessen wird.
出典:ツェードリッツの戯曲『セビリアの星』第4幕第7場(ドイツ語版Wikiquote「Falsch zugeschrieben」)
本当の出どころ ドイツ語圏ではお悔やみの言葉としてカント(またはセネカ)の名で広く使われるが、本当はオーストリアの詩人ヨーゼフ・クリスティアン・フォン・ツェードリッツ(1862年没)の戯曲『セビリアの星』のせりふ。
意味と背景 亡くなった人も、思い出す人がいる限り心の中で生き続けている、という慰めの言葉。内容が哲学者らしく聞こえるためカントの言葉とされてきたが、実際は19世紀の劇作家が登場人物に語らせたせりふである。
この言葉の使い方 身内を亡くした人への言葉として心に残りますが、使う時は作者をツェードリッツと正しく伝えたいです。面接では「有名な言葉ほど出典を確かめる」姿勢の例として挙げると、言葉への誠実さが伝わります。
目標のない者は運命に耐た えるだけだが、目標を持つ者は運命を形づくる。 原文(ドイツ語) Der Ziellose erleidet sein Schicksal - der Zielbewusste gestaltet es.
出典:出典不明(ドイツ語版Wikiquote「Falsch zugeschrieben」)
本当の出どころ カントの名言としてドイツ語圏の名言集やネットで出回るが、カントの著作には見つからず、本当の作者は分かっていない。ドイツ語版Wikiquoteでは誤ってカントの言葉とされたものの欄にある。
意味と背景 目標がなければ起こることに流されるだけだが、目標があれば自分で人生を形づくっていける、という励ましの言葉。中身は前向きだが、カントの文体とは違い、近年の自己啓発の言い回しに有名な哲学者の名前が付けられたものと考えられる。
この言葉の使い方 目標を持つ大切さを語るのに使いやすい言葉ですが、作者不明として紹介するのが誠実です。面接では「カントの言葉とされるが出典がない。それでも目標を持って動く大切さには共感する」と話せば、調べる力も伝わります。
聖書は私の最も尊い宝であり、それがなければ私はみじめだっただろう。 原文(ドイツ語) Die Bibel ist mein edelster Schatz, ohne welchen ich elend wäre.
出典:カントがシエイエスに宛てたとされる手紙(偽作)。ドイツ語版Wikiquote「Falsch zugeschrieben」
本当の出どころ カントがフランスの政治家シエイエスに宛てた手紙の一節として19世紀の雑誌に載ったが、ドイツ語版Wikiquoteによれば、その手紙そのものが偽作だと研究で分かっている。
意味と背景 信仰心の厚い人物としてカントを描くために使われてきた言葉。実際のカントは、宗教を理性の範囲で考えるという慎重な立場をとっていた。偉人の名前を借りて主張を強めようとする時、偽の手紙まで作られることがあるという例。
この言葉の使い方 座右の銘には向きません。面接で情報の確かめ方を聞かれたら、「有名な哲学者の手紙として広まった言葉が、手紙ごと偽物だった」という例を挙げ、資料の出どころまで確認する大切さを話すとよいでしょう。
人物の説明の参考:https://ja.wikipedia.org/wiki/イマヌエル・カント
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