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肖像画:作者不詳『ミシェル・ド・モンテーニュの肖像』(パブリックドメイン)(ファイルのページ ) モンテーニュの名言 ミシェル・ド・モンテーニュ|1533〜1592年|フランス|思想家・随筆家
フランス南西部の貴族の家に生まれ、裁判官やボルドー市長を務めた思想家。38歳で城の塔の書斎にこもり、自分自身を題材に考えたことを書きつづった『エセー(随想録)』を残した。「私は何を知っているか」と問い、決めつけを疑う姿勢は後の哲学者や作家に大きな影響を与え、「エッセイ」という文章の形の元祖とされる。
のせている言葉:16こ(出典あり 15・伝承・出典未確認 1)更新:2026-10-20
この人の名言の一覧(16こ) 私は何を知っているか? なぜ彼を愛したのかと問われれば、こう答えるほかな… 人に死に方を教える者は、生き方を教えることになる… 死が訪れる時には、キャベツを植えている最中であっ… たくさん詰め込んだ頭より、よくできた頭を。 世の中で一番大事なことは、自分が自分のものである… 人は誰でも、人間というものの姿をまるごと備えてい… 世界で一番高い王座に座っていても、座っているのは… 「今日は何もしなかった」「なんだって、生きたでは… 踊る時は踊り、眠る時は眠る。 苦しむことを恐れる者は、恐れていることによってす… 私が猫と遊んでいる時、猫の方が私を相手に遊んでい… 目指す港を持たない者には、どんな風も追い風になら… 私が何より恐れているのは、恐れそのものだ。 無知を治したい者は、まず無知を打ち明けなければな… 私の人生はひどい不幸だらけだった。その大半は実際…
それぞれの名言に、出典 (どの本・手紙・演説か)と、確かさのしるし(出典あり 伝承・出典未確認 実は言っていない )をつけています。外国語の言葉は運営者が原文から訳しました。
私は何を知っているか? 原文(フランス語) Que sais-je ?
出典:『エセー』第2巻 第12章「レーモン・スボンの弁護」(1580年)
出典について 『エセー』第2巻第12章にある言葉。英語版Wikiquoteに載っている。モンテーニュはこの言葉を自分の標語とし、天秤の図柄とともにメダルに刻ませた。
意味と背景 自分が確かだと思っていることも、本当に分かっているのかと問い直す姿勢を表した言葉。人間の知恵には限りがあるのだから、思い込みで決めつけず、いつも疑いを持って考え続けよという意味。モンテーニュの考え方全体を一言で表す標語。
座右の銘にするなら・面接での答え方 知ったかぶりをして失敗したことがあり、この言葉を胸に置くようになりました。分からないことは素直に「確認します」と言い、調べてから答えるようにしています。思い込みを疑える人の方が、結局は正確な仕事ができると考えています。
なぜ彼かれ を愛したのかと問われれば、こう答えるほかない。「彼かれ が彼かれ であり、私が私であったから」と。 原文(フランス語) Si on me presse de dire pourquoi je l'aimais, je sens que cela ne se peut exprimer qu'en répondant : « Parce que c'était lui, parce que c'était moi. »
出典:『エセー』第1巻 第28章「友情について」(1580年)
出典について 『エセー』第1巻第28章の原文。フランス語版Wikiquoteに載っている。若くして亡くなった親友エティエンヌ・ド・ラ・ボエシについて書いた一節。
意味と背景 親友ラ・ボエシとの友情について、理由を説明しようとしてもできない、ただ「彼だったから、私だったから」としか言えないと語った言葉。本当の友情は損得や条件で結ばれるのではなく、二人の人間そのものが引き合うものだという考えが表れている。
座右の銘にするなら・面接での答え方 高校の親友とは趣味も性格も違うのに、なぜか一番分かり合えます。理由を聞かれてもこの言葉のようにしか答えられません。条件で人を選ばず、その人自身と向き合う関係を大切にしたい、という意味でこの言葉を大事にしています。
人に死に方を教える者は、生き方を教えることになるだろう。 原文(フランス語) Qui apprendrait aux hommes à mourir, leur apprendrait à vivre.
出典:『エセー』第1巻 第19章(版により第20章)「哲学することは死に方を学ぶこと」(1580年)
出典について 『エセー』の「哲学することは死に方を学ぶこと」の章にある原文。フランス語版Wikiquoteに載っている。章の番号は版により1つずれる。
意味と背景 死をむやみに恐れず受け入れられるようになれば、人は残された時間を恐れから自由に、自分らしく生きられるようになるという意味。死を考えることは暗いことではなく、どう生きるかを考えることと同じだというのが、この章の中心の考え。
座右の銘にするなら・面接での答え方 祖父を見送った時、「最後まで好きなことをしていた」と家族で話しました。終わりを意識すると、今やるべきことがはっきりします。この言葉を思い出し、後悔の少ない毎日を送ることを心がけています。
死が訪れる時には、キャベツを植えている最中であってほしい。 原文(フランス語) Je veux que la mort me trouve plantant mes choux.
出典:『エセー』第1巻 第19章(版により第20章)(1580年)
出典について 『エセー』の原文。フランス語版Wikiquoteに載っている。原文はこの後「死のことも、畑の出来ばえのことも気にかけずに」と続く。
意味と背景 死ぬ時は特別な場面ではなく、いつもの暮らしの中で、静かに自分の仕事をしている時であってほしいという願い。死を恐れて構えるより、ふだんの生活を淡々と続けることこそ大切だという、モンテーニュらしい肩の力の抜けた人生観。
座右の銘にするなら・面接での答え方 祖母が最後まで庭の手入れを楽しんでいた姿と重なり、好きになった言葉です。特別な日だけ頑張るのではなく、ふだんの仕事を淡々と続けられる人でありたいです。毎日の積み重ねを大事にする姿勢を、この言葉に込めています。
たくさん詰つ め込こ んだ頭より、よくできた頭を。 原文(フランス語) plutôt la tête bien faite que bien pleine
出典:『エセー』第1巻 第26章「子どもの教育について」(1580年)
出典について 『エセー』第1巻第26章の原文。フランス語版Wikiquoteに載っている。子どもの家庭教師には、知識の多い人より考える力のある人を選べ、という文脈。
意味と背景 知識をどれだけ詰め込んだかより、それを使ってどう考え、判断できるかが大事だという意味。モンテーニュは、暗記ばかりさせる当時の教育を批判し、自分の頭で考える力を育てることこそ教育の目的だと説いた。今のフランスでも教育の標語になっている。
座右の銘にするなら・面接での答え方 暗記中心で勉強していた頃は応用問題が解けませんでした。この言葉を知って「なぜそうなるか」を説明できるまで考えるようにしたら、成績が伸びました。仕事でも、マニュアルの理由を理解して動ける人になりたいです。
世の中で一番大事なことは、自分が自分のものであると知ることだ。 原文(フランス語) La plus grande chose du monde, c'est de savoir être à soi.
出典:『エセー』第1巻 第39章「孤独について」(1580年)
出典について 『エセー』第1巻第39章の原文。英語版Wikiquoteにフランス語と英訳が載っている。
意味と背景 人は仕事や人付き合いや評判に心を預けがちだが、本当に大切なのは、他人に振り回されず自分の心の主人でいられることだという意味。孤独についての章で、人に囲まれていても自分だけの「奥の部屋」を心に持てと勧めている。
座右の銘にするなら・面接での答え方 SNSの反応ばかり気にして疲れた時期に、この言葉で目が覚めました。今は一日の終わりに自分のための時間を必ず作り、人の評価と自分の気持ちを分けて考えています。周りに流されず、自分で判断できる人でありたいです。
人は誰だれ でも、人間というものの姿をまるごと備えている。 原文(フランス語) Chaque homme porte la forme entière de l'humaine condition.
出典:『エセー』第3巻 第2章「後悔について」(1588年)
出典について 『エセー』第3巻第2章の原文。フランス語版Wikiquoteに載っている。
意味と背景 偉い人でもふつうの人でも、一人の人間の中には人間らしさのすべてが入っているという意味。だからモンテーニュは、平凡な自分のことを書くだけで人間全体について語れると考えた。どんな人の人生にも、それだけで語る価値があるという考え。
座右の銘にするなら・面接での答え方 目立たない仕事をしている人の話にも学ぶことが多いと、アルバイトで感じました。この言葉の通り、どの人の中にも人間のすべてがあると思えば、誰の話も真剣に聞けます。相手の肩書きで態度を変えない人でありたいです。
世界で一番高い王座に座っていても、座っているのは自分のお尻しり の上だ。 原文(フランス語) Et au plus eslevé throne du monde si ne sommes assis que sus nostre cul.
出典:『エセー』第3巻 第13章「経験について」(1588年)
出典について 『エセー』第3巻第13章の原文(フランス語版Wikisource、16世紀のつづり)。『エセー』最後の章の終わり近くにある。
意味と背景 どんなに偉くなっても、人はみな同じ体を持ったふつうの人間にすぎない、という意味。高い所に登ろうと背伸びするより、自分の足で地に立ち、人間らしく暮らすことが大事だと、モンテーニュはユーモアを込めて最後の章を締めくくった。
座右の銘にするなら・面接での答え方 肩書きがついても偉ぶらない人でいたい、という意味でこの言葉が好きです。部活で部長になった時も、道具の片づけは一緒にやりました。立場が上がるほど、自分もふつうの一人だと思い出せる人でありたいです。
「今日は何もしなかった」「なんだって、生きたではないか。それこそが一番大切で、一番立派な仕事なのだ」 原文(フランス語) Je n'ay rien faict d'aujourd'huy. - Quoy, avez vous pas vescu ? C'est non seulement la fondamentale mais la plus illustre de vos occupations.
出典:『エセー』第3巻 第13章「経験について」(1588年)
出典について 『エセー』第3巻第13章の原文(フランス語版Wikisource、16世紀のつづり)。
意味と背景 何も成しとげなかったと落ち込む人に、生きたこと自体がもう立派な仕事だと答える言葉。大きな成果ばかりを求めず、日々を丁寧に生きることにこそ価値があるという、モンテーニュの晩年の人生観がよく表れている。
座右の銘にするなら・面接での答え方 成果が出ない日に自分を責めがちでしたが、この言葉で気持ちが楽になりました。休むことも生きることの一部だと思えると、翌日また頑張れます。仕事では結果を求めつつ、仲間の頑張りを認め合える雰囲気を作りたいです。
踊おど る時は踊おど り、眠ねむ る時は眠ねむ る。原文(フランス語) Quand je dance, je dance ; quand je dors, je dors
出典:『エセー』第3巻 第13章「経験について」(1588年)
出典について 『エセー』第3巻第13章の原文(フランス語版Wikisource、16世紀のつづり)。
意味と背景 今していることに心を全部向けよ、という意味。踊りながら別のことを考えたり、眠りながら心配ごとを抱えたりせず、その時その時を味わって生きることが大切だという教え。今でいう「目の前のことに集中する」考え方そのものである。
座右の銘にするなら・面接での答え方 勉強中にスマホを見て、遊びの時は勉強のことを気にして、どちらも中途半端になっていました。この言葉を知って、やる時はやる、休む時は休むと分けたら効率が上がりました。仕事でも一つのことに集中する人でいたいです。
苦しむことを恐おそ れる者は、恐おそ れていることによってすでに苦しんでいる。 原文(フランス語) Qui craint de souffrir, il souffre desjà de ce qu'il craint.
出典:『エセー』第3巻 第13章「経験について」(1588年)
出典について 『エセー』第3巻第13章の原文(フランス語版Wikisource、16世紀のつづり)。フランス語版Wikiquoteにも載っている。
意味と背景 まだ起きていない苦しみを恐れていると、その恐れ自体がもう苦しみになっているという意味。持病の結石に悩まされたモンテーニュは、痛みが来る前から心配して苦しむのは損だと考え、来たら来た時に向き合えばよいと書いた。
座右の銘にするなら・面接での答え方 検査の結果を待つ間ずっと不安で、結果は何でもなかったことがあります。この言葉を知ってから、心配しても変わらないことは考えすぎないようにしています。不安に飲まれず、今できる準備に力を使える人でありたいです。
私が猫ねこ と遊んでいる時、猫ねこ の方が私を相手に遊んでいるのではないと、誰だれ に分かるだろう。 原文(フランス語) Quand je me joue à ma chatte, qui sait si elle passe son temps de moi, plus que je ne fais d'elle.
出典:『エセー』第2巻 第12章「レーモン・スボンの弁護」(1580年)
出典について 『エセー』第2巻第12章の原文。英語版Wikiquoteにフランス語と英訳が載っている。
意味と背景 人間は自分が一番賢いと思いがちだが、動物の側から見れば話は違うかもしれない、という問いかけ。飼い猫との遊びを例に、人間中心の思い込みを軽やかに疑ってみせた一節で、モンテーニュの懐疑の精神とユーモアがよく表れている。
座右の銘にするなら・面接での答え方 相手の立場から物事を見ることを大事にしている、という話に使える言葉です。接客のアルバイトで、お客様から見た店の姿を考えるようになってから、喜ばれる工夫が増えました。自分中心の見方を疑う習慣を大切にしています。
目指す港を持たない者には、どんな風も追い風にならない。 原文(フランス語) Nul vent fait pour celuy qui n'a point de port destiné.
出典:『エセー』第2巻 第1章「われわれの行為の移ろいやすさについて」(1580年)
出典について 『エセー』第2巻第1章の原文(フランス語版Wikisource)。もとはセネカの『道徳書簡』第71書簡の考えで、モンテーニュがフランス語で言い直したもの。
意味と背景 人生の目標を持たない人は、行動に筋が通らずその場の気分で流されてしまう。行き先の港が決まっていなければ、どんな風が吹いても役に立たないという意味。弓を射る人がまず的を知るように、まず目指す先を決めよと説いている。
座右の銘にするなら・面接での答え方 「なんとなく」で部活の練習をしていた頃は伸びませんでしたが、県大会出場という目標を決めてから練習の意味が分かりました。目標があればチャンスも生かせます。入社後も、まず目指す姿を決めて動きたいと考えています。
私が何より恐おそ れているのは、恐おそ れそのものだ。 原文(フランス語) C'est de quoi j'ai le plus de peur que la peur.
出典:『エセー』第1巻 第17章(版により第18章)「恐れについて」(1580年)
出典について 『エセー』の「恐れについて」の章の原文。フランス語版Wikiquoteに載っている。
意味と背景 恐れは判断力を奪い、人に思いもよらない愚かな行動をとらせる。だから敵や危険そのものより、恐れという感情の方がよほど怖いという意味。戦場で恐怖に飲まれた兵士の例を挙げながら、恐れが人を最も弱くすると論じている。
座右の銘にするなら・面接での答え方 試合で負けを恐れて体が固まった経験から、この言葉に共感しました。今は緊張したら深呼吸して「恐れているのは自分の心だ」と言い聞かせます。仕事でも、怖さに判断を任せず冷静に動ける人でありたいです。
無知を治したい者は、まず無知を打ち明けなければならない。 原文(フランス語) Qui veut guérir de l'ignorance, il faut la confesser.
出典:『エセー』第3巻 第11章「足の不自由な人について」(1588年)
出典について 『エセー』第3巻第11章の原文。フランス語版Wikiquoteに載っている。
意味と背景 病気を治すにはまず病気だと認めなければならないように、知らないことを知るには、まず自分が知らないと認めることが出発点になるという意味。知ったかぶりは学ぶ機会を自分で閉ざしてしまう、という戒めでもある。
座右の銘にするなら・面接での答え方 新人の頃、分からないことを聞けずにミスをしました。それからは「知りません、教えてください」と早めに言うようにしています。恥ずかしさより学べることの方が大きいと、この言葉で気づきました。素直に聞ける人でいたいです。
私の人生はひどい不幸だらけだった。その大半は実際には起こらなかったが。 原文(英語) My life has been full of terrible misfortunes most of which never happened.
出典:出典なし(英語版Wikiquote「Attributed」)
出典について モンテーニュの言葉として英語圏で広く知られるが、英語版Wikiquoteでは出典の確かめられない言葉の欄にあり、『エセー』のどこにあるかは示されていない。フランス語の原文も見つかっていない。ほかの人物の言葉とされることもある。
意味と背景 人は起こってもいない不幸を想像して、何度も心の中で苦しむものだ、という皮肉まじりの言葉。『エセー』の「恐れているだけで苦しんでいる」という考えとよく似ているため、モンテーニュの言葉として受け入れられてきたと考えられる。
座右の銘にするなら・面接での答え方 心配性な自分を笑い飛ばすのにぴったりの言葉です。ただ面接で使うなら、出典がはっきりしないことも添え、確かな原文「苦しむことを恐れる者はすでに苦しんでいる」と並べて話すと、調べる姿勢と中身の両方が伝わります。
人物の説明の参考:https://ja.wikipedia.org/wiki/ミシェル・ド・モンテーニュ
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